Essey
“狭いのに世界”な街 — 渋谷という創造都市
株式会社東急文化村
荒木 久一郎
東京という都市は、どこまでも広がっていく。江戸の町がそうであったように、中心である皇居(江戸城)から外へ、外へとにじみ出るように拡張し、その輪郭は次第に曖昧になっていく。高い場所に上がったところで、その全体像をひと目で捉えることはできない。
池袋や新宿を歩くと、その「広がり」という感覚に包まれる。東口と西口がそれぞれ別の街のような表情を持ちながら、さらに外側へと連なっていく。東池袋や西新宿といった地名が示すように、街は境界を持たずに水平方向に拡張し続け、気づけばひとつの巨大な都市体験へと変わっている
それに対して渋谷は、輪郭のはっきりした街だ。ハチ公口からスクランブル交差点へと続く風景が、街の中心として強く意識される。その周囲には原宿や青山といった異なる個性が並び、渋谷はむやみに広がろうとはしない。むしろ、常に中心に向かって密度を高めることをめざしているように感じられる。
渋谷には、広がりとは別のかたちの密度の高さ、言い換えれば奥行きがある。
その奥行きを生んでいるのが、「坂」だ。
渋谷の街は駅前からどの方向へ向かっても、ゆるやかな上り坂に出会う。坂を上る時、その先は見えない。視界は途中で途切れ、頂上の向こうに何があるのかは分からないままになる。だからこそ、人は自然とその先に何かを期待してしまう。歩くというありふれた行為が、ほんの少しだけ未知へ向かう体験に変わる。
この「見えなさ」こそが、水平に広がろうとする池袋や新宿にはない渋谷の奥行きなのだと思う。
整いきらないこと、すべてを見せきらないこと。偶然や発見が残されていること。
それが人々の好奇心を刺激し、創造性を静かに刺激する。
そうした小さな冒険の積み重ねが、人の振る舞いを変え、やがて文化を生み出していく。渋谷がこれまで多様な音楽やファッションを生み出してきたのも、「坂」が生み出す都市環境と無関係ではないだろう。
思えば、かつての百貨店は限られた空間の中に多様な体験を凝縮し、ひとつの「街」のように機能させようとした。渋谷という街は、その発想を都市スケールで体現しているかのようだ。
けっして広くはない。いや、むしろ狭い。けれど、歩くたびに新しい景色や出来事に出会う発見がある。
だからこそ、この街は「狭いのに世界」なのだ。
近年、街づくりにおいて「ウォーカビリティ」という言葉をよく聞く。だが、それは単に歩きやすいという意味だけにとどまらないだろう。便利で、安全で、快適で、そしてどこか楽しいこと。そのすべてが揃ったとき、人は街にとどまり、自分なりの時間を過ごし始める。そこで生まれたストリートライフこそが街の魅力を内側から支え、そこで生まれる日常の風景が、やがて文化になっていく。
文化は、どこか特別な場所にあるのではない。人が行き交い、立ち止まり、誰かと出会う。そんな日々の重なりの中から、ゆっくりと形づくられるものだ。
芸術もまた、同じ時間の中にある。流れるように現れては消えていく時代の先端表現がある一方で、長い時間をかけて残り続けるものもある。前者が「フロー」だとすれば、後者は「ストック」である。後者は共有され、伝えられることで伝統となり、やがて文化として社会に根付いていく。
そして、どれだけ時代が変わっても、その時間の厚みは失われない。
ベートーヴェンの音楽が、今もなお同じ長さで演奏されるように。
だからこそ、私たちは「新しさ」と同時に、「残り続けるもの」にも目を向ける必要があるのだと思う。体験が記憶となり、やがて思い出として蓄積されていくこと。その価値は簡単には測ることができないが、確かに人の中に残り続ける。
都市もまた、そうした時間の集積によってかたちづくられていく。人と人が出会い、関係を結び、小さな出来事を重ねていく。その繰り返しが、街の表情を少しずつ深めていき、街の輪郭をゆっくりと形作っていく。
渋谷は、けっして完成された都市ではない。
むしろ、どこかに混沌さを残し続けている街だ。
まるで、開幕前の劇場のように、すべてを見せないこと。すべてを予測させないこと。
それが、この街に人を引き寄せる理由なのかもしれない。
「坂」の先に何があるのかは、最後までわからない。
それでも私たちは、つい歩き出してしまう。これまでも、これからも。
その衝動があるかぎり、渋谷は更新され続ける「未完成の都市」であり続け、多くの人の創造性を刺激し続けるのだと思う。
荒木 久一郎(あらき きゅういちろう)
1962年生まれ東京都出身。1985年明治大学経営学部卒業。大学卒業後、広告会社にて主にマーケティング・プランニング業務を中心に消費財などのブランディングや商品開発、地域振興など数多くのクライアント業務に携わる。2016年より株式会社東急文化村にてチケット販売、広報業務を担当しており、現在、執行役員マーケティング統括部統括部長。日本アートマネジメント学会 会員。著書;『文化・芸術のマーケティング Bunkamuraも実践する満足を生み出すチャレンジ』東急エージェンシー(2024)
Essey
“狭いのに世界”な街 — 渋谷という創造都市
株式会社東急文化村
荒木 久一郎
東京という都市は、どこまでも広がっていく。江戸の町がそうであったように、中心である皇居(江戸城)から外へ、外へとにじみ出るように拡張し、その輪郭は次第に曖昧になっていく。高い場所に上がったところで、その全体像をひと目で捉えることはできない。
池袋や新宿を歩くと、その「広がり」という感覚に包まれる。東口と西口がそれぞれ別の街のような表情を持ちながら、さらに外側へと連なっていく。東池袋や西新宿といった地名が示すように、街は境界を持たずに水平方向に拡張し続け、気づけばひとつの巨大な都市体験へと変わっている
それに対して渋谷は、輪郭のはっきりした街だ。ハチ公口からスクランブル交差点へと続く風景が、街の中心として強く意識される。その周囲には原宿や青山といった異なる個性が並び、渋谷はむやみに広がろうとはしない。むしろ、常に中心に向かって密度を高めることをめざしているように感じられる。
渋谷には、広がりとは別のかたちの密度の高さ、言い換えれば奥行きがある。
その奥行きを生んでいるのが、「坂」だ。
渋谷の街は駅前からどの方向へ向かっても、ゆるやかな上り坂に出会う。坂を上る時、その先は見えない。視界は途中で途切れ、頂上の向こうに何があるのかは分からないままになる。だからこそ、人は自然とその先に何かを期待してしまう。歩くというありふれた行為が、ほんの少しだけ未知へ向かう体験に変わる。
この「見えなさ」こそが、水平に広がろうとする池袋や新宿にはない渋谷の奥行きなのだと思う。
整いきらないこと、すべてを見せきらないこと。偶然や発見が残されていること。
それが人々の好奇心を刺激し、創造性を静かに刺激する。
そうした小さな冒険の積み重ねが、人の振る舞いを変え、やがて文化を生み出していく。渋谷がこれまで多様な音楽やファッションを生み出してきたのも、「坂」が生み出す都市環境と無関係ではないだろう。
思えば、かつての百貨店は限られた空間の中に多様な体験を凝縮し、ひとつの「街」のように機能させようとした。渋谷という街は、その発想を都市スケールで体現しているかのようだ。
けっして広くはない。いや、むしろ狭い。けれど、歩くたびに新しい景色や出来事に出会う発見がある。
だからこそ、この街は「狭いのに世界」なのだ。
近年、街づくりにおいて「ウォーカビリティ」という言葉をよく聞く。だが、それは単に歩きやすいという意味だけにとどまらないだろう。便利で、安全で、快適で、そしてどこか楽しいこと。そのすべてが揃ったとき、人は街にとどまり、自分なりの時間を過ごし始める。そこで生まれたストリートライフこそが街の魅力を内側から支え、そこで生まれる日常の風景が、やがて文化になっていく。
文化は、どこか特別な場所にあるのではない。人が行き交い、立ち止まり、誰かと出会う。そんな日々の重なりの中から、ゆっくりと形づくられるものだ。
芸術もまた、同じ時間の中にある。流れるように現れては消えていく時代の先端表現がある一方で、長い時間をかけて残り続けるものもある。前者が「フロー」だとすれば、後者は「ストック」である。後者は共有され、伝えられることで伝統となり、やがて文化として社会に根付いていく。
そして、どれだけ時代が変わっても、その時間の厚みは失われない。
ベートーヴェンの音楽が、今もなお同じ長さで演奏されるように。
だからこそ、私たちは「新しさ」と同時に、「残り続けるもの」にも目を向ける必要があるのだと思う。体験が記憶となり、やがて思い出として蓄積されていくこと。その価値は簡単には測ることができないが、確かに人の中に残り続ける。
都市もまた、そうした時間の集積によってかたちづくられていく。人と人が出会い、関係を結び、小さな出来事を重ねていく。その繰り返しが、街の表情を少しずつ深めていき、街の輪郭をゆっくりと形作っていく。
渋谷は、けっして完成された都市ではない。
むしろ、どこかに混沌さを残し続けている街だ。
まるで、開幕前の劇場のように、すべてを見せないこと。すべてを予測させないこと。
それが、この街に人を引き寄せる理由なのかもしれない。
「坂」の先に何があるのかは、最後までわからない。
それでも私たちは、つい歩き出してしまう。これまでも、これからも。
その衝動があるかぎり、渋谷は更新され続ける「未完成の都市」であり続け、多くの人の創造性を刺激し続けるのだと思う。
荒木 久一郎(あらき きゅういちろう)
1962年生まれ東京都出身。1985年明治大学経営学部卒業。大学卒業後、広告会社にて主にマーケティング・プランニング業務を中心に消費財などのブランディングや商品開発、地域振興など数多くのクライアント業務に携わる。2016年より株式会社東急文化村にてチケット販売、広報業務を担当しており、現在、執行役員マーケティング統括部統括部長。日本アートマネジメント学会 会員。著書;『文化・芸術のマーケティング Bunkamuraも実践する満足を生み出すチャレンジ』東急エージェンシー(2024)
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