Interview
公共空間から人と都市の関係を再構築する「パブリックスペース・ムーブメント」とは何か?
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授
中島直人さん
1976年東京都生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院修士課程修了。博士(工学)。東京大学大学院助手、同助教、イェール大学客員研究員、慶應義塾大学専任講師、同准教授、東京大学大学院准教授を経て、2023年12月より現職。専門は都市計画。近年の著作に『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年、日本都市計画学会論文賞受賞/日本建築学会著作賞受賞)、『コンパクトシティのアーバニズム コンパクトなまちづくり、富山の経験』(共編著、東京大学出版会、2020年)、『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)『ニューヨークのパブリックスペースムーブメント 公共空間からの都市改革(編著、学芸出版社、2023年)。「人・運動・場所から編成する都市計画史に関する一連の研究」で2024年度日本建築学会賞(論文)を受賞。
今、都市の在り方が変わりつつある。都市の再開発が加速する一方で、私たちにとっての都市はこれからどう在るべきか?
ここでは、公共空間から改革が進むニューヨーク市における都市計画の事例をもとに東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授 中島直人さんにロフトワークCulture Executive マーケティング・リーダー岩沢 エリとAru Sosiety アートディレクターの小川敦子がインタビューを行った。
小川敦子(以下、小川):中島先生の著書「ニューヨークのパブリックスペース・ムーブメント〜公共空間からの都市変革 」編著者 中島直人、著者 関谷進吾・北崎朋希・三浦詩乃・三友奈々(株式会社学芸出版社、2024年発行)において、ニューヨークの都市の市政によって生まれた分断及びその解消について触れられた上でー
“そこにいない人々や届かなかった地域のことも考えなければならない。
公共空間の公共とはいったい誰のことなのか、が問われている”
という深いメッセージとも受け取れる記載が非常に印象に残っています。同時に、この本を通じて日本の都市全体においても、今後公共の在り方が問われていると感じました。都市、公共空間における「公共」について、これから私たちはどのように捉え直していくべきなのか? 是非お考えをお聞かせいただけますか。
中島直人(以下、中島): 私自身が企画した本ということもあり、具体的な事例に加えて、全体の総論的な部分を担当しました。ご質問頂いたのは、全体の総論に書いてあることですね。かなり抽象化して書いているところなので、これ以上、なかなか簡潔に説明するのが難しいのですが、「公共」をどう捉え直していくのかは、本書のとても大事な問いかけでありました。
小川:私自身が個人的に良く感じていることとして、現在の住まいは関西になるのですが、出身は東京で家族も東京に住んでいます。東京から離れて10年程経つのですが、客観的に今の東京を見ると、住んでいる人たち、つまり生活者が置き去りになっている開発が一挙に進んでいるのではないかという印象を感じることがあります。地域性や生活者の声は一体どこにあるのだろう? と思うこともあります。そこで、公共空間における「公共」の意味を改めて知りたいと思い、そのようなときに先生の著書に出会いました。これまで日本ではあまり「公」ということをあえて問うてこなかった傾向もありますが、そのようなことに対する意識を私たちは今後どのように持っていくと良いのだろうと。
中島:都市は人々が集まって住む場所です。人々の生活領域が重なりあっていくことで公共空間が生まれます。公共空間の存在は都市の都市たる由縁でもありますよね、もちろん農村にもそのような重なり合いはあるわけですが、都市はその重なり合いの密度がより濃くなるということです。重なる部分が大きいだけでなく、複雑でもあり、また固定された空間だけではなく、公共交通といった移動の空間が重なることもある。とにかくたくさんの人が住んでいるから、みんなで重なる部分をつくっていくということが都市の本質であり、魅力であるということを前提とした上で、都市のなかの公共財を誰がつくっていると考えたとき、一般的には三つの主体、論理があると言われています。
一つめは政府、統治の論理。二つめがマーケット、企業の論理。三つめが生活者、生活の論理。生活の主体は住民や市民なのですが、ここにもスペクトラムがあります。公共財の一つである公共空間もこの三つの主体、論理から捉えられるでしょう。
まず一つめについて、政府が統治的につくるのは、公園に代表される、いわゆる制度化された場所です。公園でいうと、人々の公衆衛生、健康の観点から政府が上からつくっていくという時代があります。二つめについて、企業、マーケットも公共空間を生み出しています。特に、最近多くなっているわけですよね。これは企業側からすると、経済活動的にもプラスになっている、企業の公共的な貢献が企業価値として跳ね返ってくる、パブリックな事柄にビジネスサイドも関心を持つ傾向が強くなっている。
三つめの生活の重なり合いから生まれてくるという話は、生活の論理が生み出す公共空間、すなわちコモンです。コモンがさらに重なって、パブリックとして大きなものになっていく。
このように、つくられ方によって、同じ公共空間であっても性格が違ったりしてしまう。何がその中で一番大事なのか?というと、先ほどご指摘して頂いたとおり、近代化の過程のなかで統治的な側面が公共空間をつくる主流だったのですが、次第に政府のイニシアティブは弱くなっていって民間も公共的なるものを担うようになってきた。しかし何れにおいても、住民や生活の論理は蔑ろにされる危険がある。そこを、もう一度回復しなければならないよねというのがパブリックスペース・ムーブメントの本来の目的の一つです。
だからといって、住民運動だけで全てをつくり出すということではなく、政府も市場も三つの主体が生活の論理を第一に尊重しながら共通の意識で一緒に取り組んでいく。それが公共空間でしょうと。
なお、場所場所によって生活の論理の在り方が違ってきます。例えば東京だと、丸の内の市民と言ったら誰なんでしょうと。住民はいないわけです。だとすると、おそらくそこで働いている人なんでしょう。企業の論理が強く、その人たちも単に消費者として公共空間を享受しているだけだったかも知れない。しかし、最近は場所を生み出す人たちも出てきているし、そのことを重視しないと、すぐに隅に追いやられるのが生活の論理。公共空間において最も大事なのは生活の論理であろうと、この質問から思ったことですね。
小川:なぜ、日本は今のような状況になってしまったんでしょうか。
中島:日本だけではないんですよね。他の国も似たようなことがあります。歴史的に言えば、かつては市場はここまで強くなかったし、生活者がつくりあげてきた “まち” があった。近代化の過程で統治の原理が強くなり、そこにいろんなものを委託してきたわけですよね。統治と結びついて様々な専門家が生まれ、その人たちに自分たちの生活空間、コモンをつくることをある意味ではお任せをするように進んでいったのが近代。公共空間に限らず、生活にまつわるいろんなことが、おそらくはそのような形で、公的サービス、その後、民間サービスとして自分たちの生活からは一旦切り離したものとなっていったし、それを望んだんですよね。
結果として、多くの人にとって生命の危険がなくなり、さらに一定の生活水準が達成されたわけです。統治の力、あるいは専門家の力、さらにマーケットの力で成し遂げられたことではたくさんあると思うんですけれども、その先が行き詰っている。あるいは、そちらに行き過ぎた結果、そのように生きたかったわけではないと少しずつ気づく。つまり、今と異なるありかたを生活の論理をもう一回立て直すことで見出そうとなる。
ニューヨークでいうと、1960年代に近代都市計画に警鐘を鳴らしたジャーナリストのジェーン・ジェイコブスや在野の社会学者で都市エスノグラフィー分野におけるパイオニアでもあるウィリアム・ホワイトといったこの本でも言及した人たちは、まさに生活の論理から、当時の政府の都市計画を批判をして、今につながるパブリックスペース・ムーブメントの基盤をつくっているんです。
ニューヨークの場合はその歴史がまずあるので、市民、生活の論理が公共空間の基調にある。さらに言えば、個人の個というものが良くも悪くも強くて、公共空間とは、まさに個人を表現する場なんですよね。そこは日本とは大きく異なる意味があって、そういう場所に行くと自分というものを主張している。
多様性というのは、個がはっきりと見えてこないと多様であるということも結局見えないわけですが、日本はそういう個を強く打ち出す文化がもともと馴染まないのかもしれないですね。人から抜きん出るとか、自分の思っていることを主張することがいつでもポジティブに受け止められるわけではないですよね。
公共空間も似たようなところがあって、多様な主体こそが都市の生活の論理であって、それぞれの多様な生活が主張されて重なりが生まれてくると。日本の場合は、なんとなくの違いがあっても具体的な違いを曖昧にするところがあって、公共空間を見てもだいぶ違う。ニューヨークとは使い方も含めて。ニューヨークでは公共空間で一人でトランペットを吹いていたり主張している人がいるけれども、日本ではあまり見かけないかもしれないです。
生活の論理が弱い理由は、公共空間において日本は所有の力が強いという面もあると思います。本来、所有と利用は別の概念で、公共空間というのは所有から人々を解き放つというか、本来は、その利用のされ方、使われ方がまさに公共的かどうかが本質なので、そちらが重視されれば対等に生活の論理という話が出てくるわけですが、日本の場合には、土地の所有、所有権といったものが利用よりもはるかに強いんですね。生活者はどうしても使わせていただいているというか、公園であっても、いろんなルールで縛られていることを仕方ないよねと思ってしまったり、企業が嫌なことはやらないとか、時間も何時までの利用という縛りがあることも全て生活の論理から決まっているわけではないのです。市町村であっても自分たちのものではないと思っていて、あくまでもお役人が持っているものであると自由に使えないし、規制がかかっていても、まあいいかなと思ってしまうことが傾向としてありますよね。
ニューヨークの市民を見ていると、例えば道路はニューヨーク市のものなわけですが、だからこそ、それは自分たちのものだと堂々と使う。本書ではタイムズスクエアの話のところで書いてあるわけですが、広場化した後で、写真を撮らせて法外なお金をとるといったチップビジネスが問題になった時に、ニューヨーク市がルールをつくり取り締まろうとうると、タイムズスクエアの地域の人たちが、いや自分たちで考えるからそれは待ってくださいと。自分たちで公共空間をこうやっていけば問題なく使えるんではないかとアイデアを出し、実際にルール化された。土地はニューヨーク市のもの、日本でいうところの公共用地なのですが、周りの人たちにとっては自分たちのまちの中にあるところで、自分たちで自治的に管理して責任を持ってやっていくと。これは日本ではなかなかないですよね。
小川:京都は、そのような自治的な強さがまだあるかもしれませんね。
中島:そう、古いまちではそういうことがまだ残っていますね。東京でも神田あたりにいくと、神田の道というのは、もともと関東大震災後の帝都復興区画整理の時に自分たちの土地を出し合ってつくったものだから、今でも自分たちのものだという意識が残っているようで、神田の人たちは道を専有する際は堂々と使っていますね。もちろん制度的な手続きはしているのでしょうが、古いまち、もともとそういったことが続いているまちというのは日本でもあるわけですよね。
岩沢えり(以下、岩沢):ニューヨークにおける利用者の権利と神田のケースの元所有者という違いはありますね。神田の人たちの論理では、もともと所有していたということが大きい。もともと自分たちのものだったという意識が強いということですね。
中島:神田の人たちの論理では、もともと土地を出し合ったということが大きいかもしれないですね。京都は小学校を地域の力でつくってきた歴史がありますよね。本当にコモンズとして出来上がっている。なかなか他のまちでは見られないかも知れません。
小川:ニューヨーク市の公共空間政策に深く関わってきたNPOデザイントラスト・フォー・パブリックスペース(DTPS)が2015年に発表した報告書のテーマに使用された「パブリックスペース・ムーブメント」という言葉について、本著ではー
“単に公共空間を生み出すだけでなく、都市のガバナンスの変革や公平という観点から公共空間の意義の再考を促したプロジェクトや活動を総称し、公共空間を主題とした都市全体にわたる改革運動のことである”
という解釈を先生がなされてますね。これまでお話を伺ってきたように、自治体やデベロッパーなどの民間企業が主体になる場合は経済価値の創出に重きが置かれがちであり、また本来都市の創造性を生み出していく生活者の存在がお座なりになることが往々にしてあるのも、また事実です。おそらくニューヨーク市においてもガバナンスの変革や都市全体の改革はまだ過渡期にあるのだと想像していますが、ニューヨーク市が行った改革としての「パブリックスペース・ムーブメント」について、私たちがしっかりと学ぶべき点、あるいは改善を重ねていくべき点についてお聞かせください。
中島:パブリックスペース・ムーブメントというのは、ニューヨークの人たちは最初からパブリックスペース・ムーブメントという運動をやろうとして取り組んでいたわけではなく、後で振り返って、様々な取り組み、活動を一括してパブリックスペース・ムーブメントと呼んだというものです。
パブリックスペースといっても、公園もあれば、街路もあれば、広場もあれば、公開空地もあります。これらは基本的に別々の仕組みで生まれてきているものです。また、パブリックスペースという概念そのものはごく普通に理解されるものですが、それを生み出す仕組みや活動を一つのムーブメントとして捉えるのも大事なところです。
よくあるのは、行政内でも縦割りになっているという状況です。しかし、ニューヨークでは別々の仕組みで出来上がっていく空間だけども、そのつくり方で区別するのではなく、全て公共空間として一体として考えていくんだという、そういう運動なんだということ。まず、そのような意味があるんですね。
この本でも連続したムーブメントに関する活動として、ニューヨーク市の政策、関連組織、どのような公共空間整備の事例なのかについて一覧での年表として掲載していますが、ここに提示されている一つ一つの出来事はよく知られていますし、例えばハイラインとタイムズスクエアとは実際別の話で、タイムズスクエアは道路の広場化のことだし、ハイラインは廃線跡高架の公園化です。そうしたプロジェクトを全てパブリックスペースとして境界なく、一つものとして捉えたということなんですよね。
そして、それはガバナンスとも関係します。パブリックスペースを運営している人たちもかなり多元的なんですよね。ニューヨーク市が運営しているものもあれば、公民連携でやっているものもあります。民も住民団体もあったり企業もあったり、そういう主体を全部ひっくるめて、一つの運動体なんじゃないかと。パブリックスペース・ムーブメントのそうした捉え方そのものがまずはとても意味があるものではないかと思います。
ニューヨークがこういった変革が出来た要因としては、デザイン・フォー・パブリックスペースなどのパブリックスペースを生み出すことを専門としたノンプロフィットの団体があったことがまず第一に指摘できます。道路だけとか特化せずに、もともとパブリックスペースの理念を持って様々な支援をしてきたのです。その上で、なぜパブリックスペースに皆が力を注いできたのかということになると「報告書Sharing the City: Leearning from the New York City Public Spase Movement (都市を共有する: ニューヨークのパブリックスペース・ムーブメント)* 」にもある、 “Sharing” というのが端的に表現していて、結局、さきほど所有という話もありましたけど、都市はみんなのもので誰かのものではない、都市というものはシェアするものなんだと。その理念の象徴がパブリックスペースであり、パブリックスペースを通じて一人ひとりが都市を自分のものだと思う、都市をシェアしている状態を目指すんだということです。
シェアリングというのは、何の対語なのかと考えると、これは同時期にニューヨーク市が出したレポートのタイトルに「We Build the City」とあります。ニューヨーク市が出すと自分たちが都市をつくった、 “Building” となるんですよね。他にも、「Designing the City」というものもあったりするわけですが、パブリックスペース・ムーブメントの話は、 “Design” “Building” “Construction”というのではなく、 “Sharing” と表現していることからしても、やはり生活の論理から捉え直している、パブリックスペースとはそういうものなんだと。メッセージとしては大きいですよね。
ニューヨークに限らず、アメリカの都市は今でも人種にまつわる問題が都市計画にとっても一番ケアすべき課題としてあって、そこに貧富の格差も広がり続けている。そういう人たちも一つに、みんなそれぞれが都市を共有する仲間なんだと。それをパブリックスペースで実現するんだと。公共空間によっていろんな人にシェアされていくという都市、社会を目指しているわけなんですよね。結局、パブリックスペース・ムーブメントは「社会の在り方」のことをいっていている。パブリックスペース・ムーブメントだけで、すべてが解決するわけではなく、例えばアフォーダブルな住宅を提供することも大事なのですが、みんな、それぞれが別なんだけれども、同じ都市、パブリックスペースをシェアして、一緒に暮らしているような状態を目指すという点は確認しておきたいところです。
翻って日本の状況を見たときに、そこまでそういう強い気持ちというか強い動機があるのだろうかと。例えば、いろんな公共空間を連ねがらしっかり進めているという意味では、大阪はうめ北から始まって、その流れのトップランナーだと思うんですね。御堂筋とか、なんば広場とか。一個一個、事業主体、制度も違うものをやはり一つのパブリックスペース・ムーブメントに近づけている。しかし、なんのためにやっているのかというと、ニューヨークとは違うのかも知れない。もちろん、違うからといってダメだといっているわけではない。
しかし、ニューヨークでは、パブリックスペースが都市の根幹というか、論理基盤にある。自分たちの中での「どう在りたいか」という内発的なことから始まっている、このこと抜きには理解できない。
ニューヨークのデベロッパーも、とても強い力を持っているわけですが、彼らもこのようなことを通して、やはり見返りがあるからやっている。そういうことも含めて、ムーブメントです。日本以上に都市計画が取引条件になっていて、こういうことをやるともっと大きなものが建てられると、ダイナミックなことをやっています。メリハリをつけてやっているのが、ニューヨーク。それがアメリカの都市計画でして、自治体としてのニューヨーク市がやっていることもはっきりしていて、デベロッパーとニューヨーク市の交渉、いや戦いという部分もある。
日本の場合は、企業が強く、地方自治体のイニシアチブが弱くなっているのが気になっています。特に大都市圏では、行政は民間が提案したことをどう進めるのかということに注力し過ぎている。企業のプランニング、開発を邪魔しないようにと。結果、税収増で自分たちの業績にもなるということで、あまりプランニングマインドを出さない、出しづらい状況にあるように見受けられます。
結局、政府、地方自治体を支えるのは住民や市民なので「住民や市民の在り方がどうなのか?」ということと関係している。ニューヨークの場合は、企業と行政だけでなく第三者としての市民がいるんです。メディアの在り方とかも理想的な形だけではないかもしれないけれど、企業に対しても政府に対しても言うことを言うような人たちがいて、メディアがある。その人たちがなぜいるのかということも大事なことで、そういう人たちを育てる文化というものも、そのためのツールがあることも大事なんです。それがニューヨークなりの民主主義のかたちです。
日本は生活者の論理とそういうこととの距離があって、かつ、生活者側も都市で起きていることに対して知識というか、問題意識、問題視しないような姿勢になっているように思います。民主主義の根幹にあたる部分です。どんなにシステムを整えても、市民がいなければ成り立たない。ニューヨーク市が力を入れているのは、そのようなある種の土壌を育てることです。都市デザインのガイドラインも、市民、住民が読んで、市民が良い都市デザインとは何か、リテラシーというか、知識をつけて、それで対等に民間企業や自治体にものを言えるような社会をつくろうという明確な意図で編集されていたりするわけですよ。日本では、そこまではまだないですよね。基本、お任せなんですよね。
日本の自治体が出すプランの冊子は、これまであまりデザインがされてこなかった。誰かに読んでもらうためではなく、書類になっていて。中身もすぐに読み飽きてしまうというか。形式的なものでしかなく、誰がどういうふうに読んでくれて、その結果、何が起きるのかというビジョンがなくて、一応計画というものがありますと出すケースが多かった。最近は変わってきていますが。どれだけ「生活の論理に基づく声」が出せるようになっているか? 日本はまだ弱いですね。そもそも制度が生活者の論理を入れないようになっています。最近大きな議論になっている明治神宮外苑の件もそうかもしれません。
けれども、これは最近になって出てきた議論ということではないのです。日本でも、デモクラティックな都市計画を追い求めてきた人たちがいます。都市計画が導入された当初からオルタナティブを求めてきたけれども、日本ではなかなか主流にはならない。日本の国づくり、日本の近代化はなんだったかということと関係している。日本の近代は政府主導で、そういう市民社会を熟成する時間を省略したからこそ、こういう国をつくってこれたということでもある。今、そのことを理解したうえで、省察をしているし、市民社会の成熟ということに対して、日本の2倍、3倍の時間をかけてやってきている国や都市もあるということも、その省察の視野に入れておくべきです。
岩沢:ちょっと立ち止まって、考えていくタイミングでもありますよね。
中島:歴史を研究していると、そういう気持ちになりますね。
小川:「都市の哲学」をどのように見つめ直し、その価値を再定義していくことが重要なのか?そのようなことをここから議論していきたいと思います。
“ニューヨークの都市のアイデンティティに根差した運動から受け取るべきは、突き詰めれば、やはりなぜ公共空間なのかを問うこと、各都市がそれぞれの根幹に置く自分たちなりの価値、その哲学を見つめなおすことが大事であるというメッセージに尽きるように思われる。
私たちの都市はニューヨークとは違う、では何がどう違うのかという認識が出発点である。その点をないがしろにして、公共空間のデザインや運営の手法のみに注目することは、木を見て森を見ず、公共空間を見て都市改革を見ずとなる”
著書に書かれた先生の言葉は、現代を生きる私たちが、まさに見失っている視点であり、目的の空白化による形骸化された都市の開発や価値の均一化といったことに繋がっていくのではないかと感じました。先生が大阪の都市計画について關一(せきはじめ)さんのことについて深く語っていらっしゃるインタビュー記事を拝見したことがあるのですが、このように非常に強い信念を持って大阪の都市の基盤が創られたことにとても驚きました。
中島:関一は都市計画という言葉を日本で初めて使った人なのですが、学者で、ヨーロッパにも留学をしていたから、ヨーロッパ的なことを頭におきながら都市計画を考えた人です。彼の「住み良い都市」という生活者の側から立ち上げる都市像は今では当たり前の話ですが、当時、日本の都市計画は、そのような都市像をはっきりとは示していなかった。そういうところを変えなければならないと、関一は大阪の市長になるのですが、生活の論理に立つような都市計画の重要性に気づいていた一人でしょうね。
小川:日本にもそういう人たちがいたということを知ることがまず大事ですよね。
中島:私の研究は、まさにそういうことを探究してきました。オルタナティブな流れの都市計画の運動と思想を捉えて、それを今に繋げようと。そういうことを念頭におきながらニューヨークの本も書いている。
小川:そこが大事ですよね。
中島:日本の都市計画は一見すると哲学を持たないというか、技術や制度に集中しているので、味気ない気がしますよね。哲学という言葉が適当かはわからないけれども、富山市と一緒にやった研究でそのことについて考えました。『コンパクトシティのアーバニズム』という本にしています。富山は好きな地方都市の一つです。
富山はコンパクトシティということで、国も応援して頑張ってきた都市です。富山のコンパクトなまちづくりは、持続可能な都市を目指すまちづくりで、郊外まで延び切った市街地をこのままにしていては、子供達の世代においてはもう維持できないということに20年ぐらい前に気づいて、その後、ずっとコンパクトなまちづくりを掲げて様々な施策をやり続けてきたことで、それこそ、富山では、おばちゃんも、中学生も、皆そういうことを知っている。
もともと、コンパクトなまちづくりに反対していた人たち、確かに慣れ親しんできた風景が変わったりすることもあったのでその理由はよく分かるのですが、その人たちでさえも次第に自分たちの居場所をコンパクトなまちづくりによってつくっていけるのではないかと姿勢が変わっていった。
ある都市が明確な問題意識のもとこれをやるんだというはっきりとした哲学を持ち、つまり単に市長の思い付きとか趣味とかではなくて。自分たちが富山という都市から受け取ってきたものを次の世代の人たちに受け継いでいくという想いがあって。都市計画というものが単に制度であって、生活と縁遠いものではなく誰もが対話できるものである、都市計画もある種の人格があるんだということを富山は教えてくれます。
コンパクトなまちづくりのような強い思いを持っているがゆえに対話ができる都市計画というのは、なかなか見られない。ここでの哲学は生きるとは何かということの探求というよりも「ぶれない芯がある」という意味です。そして、芯があるからこそ、個々の取り組みは柔軟なんです。コンパクトなまちづくりというのがしっかりあるので、様々な新しいクリエイティブな取り組みが出てきている。ニューヨークも同じで、パブリックスペースを通じて、そういうところが見える。
冒頭でインタビューの前に、小川さんが展開してくれた京都市都市戦略プロジェクトの京都のコモンズの仕組みに関する図式も見せてもらいましたが、「京都が主役」ですと仰いましたよね。すごく面白いなと。主役=都市そのものですよね。都市というものが住民や企業と同じように主体としてある、ということ、都市と付き合うことでいろんな面白いことができるという感覚があります。
小川:はい。ありがとうございます。仰る通りで「創造的都市、京都」という概念であり、哲学であり、都市の中の共通の目的を主役として “都市、京都” として表現しています。プロジェクトを通して、京都という都市の内側に入って対話を重ねるほどに、都市は生き物だなあと思っています。
中島:市民の間でも、私の都市であるよね、そこに自分がいるよねと感じられるところは必ずしも多くないのです。
小川:京都はもともとそういう気概が街にあって。70代以上の方々は非常に気概もあって、京都への思いも強い。一方で、60代の方と話すと自分が京都をいかに知らなかったと思うことが多いと。もしかしたら、それは京都というものが自分の内側ではなくて、外側に捉えられてしまう感覚に変わってきているのかもしれない。そういう印象もあります。
中島:もちろん、みんなが同じように都市と付き合う、あるいは、まちづくりに参加する必要があるということでもなくて。それはそれでやや危険です。強制的なものではないのです。都市と積極的に付き合いたいという人がある程度いれば、都市は良い状態ということでもあるんですね。都市に住みながらも都市と関係を断つという生き方もあって。あえて農村との違いを強調するとすれば、農村ではみんなが同じでないと生きづらいところもあるかと思うのですが、都市というのは自分と違う人がいるのが大前提であり、そのことが都市の面白さである。ただ、みんな違うということで終わってしまうと、それはそれで集まって住んでいる意味がなくなってしまうので、どのぐらいの人たちがそのような想いを持てば、全体としては都市が持続可能になるのか? 持続可能ということは、究極的には次の担い手がそのまちから生まれてくるのかという話なので、そういう都市で生まれ育った人が、また都市を次に繋げていけるのかというところに関心がありますね。
小川:そのような意味では、京都の場合は、明治期に教育と産業政策の二軸を都市のビジョンとして掲げていて、気概を持った都市として世代ごとに受け継がれてきたという経緯があります。京都の70代の方々ぐらいですと、喫茶店でも普通に議論がなされていくような文化であり、都市からそういう人を生み出し続けていたというのは、あるかもしれませんね。それには教育も大きいかもしれません。
中島:新しく入ってきた人でも良いのですが、都市に惹きつけられて、惹きつけられた人が、自分が今度は都市に対して主体的に関わっていき、次の人を惹きつけていく。そのまちを好きな人が多いまちが他からも人気のまちであるということにもつながります。
小川:持続するには、哲学が必要ですか?
中島:都市なんてあくまで道具だから、なくなってもよいという人もいますが、都市を人生のパートナーで、都市とのうまい付き合い方というか、都市も一人の人間のようであって、お互い尊重し合いながら、うまくやっていくのがいいと思います。哲学といっていいかはやはりまだ分かりませんが。
小川:次に、都市のガバナンスの仕組みについて、ここから議論をしていきたいと思います。
“公民連携とは、単に公の役割を民に開く・任せるのではなく、
都市の中から幅広く知恵を集めることである”
という著書に書かれた定義は、まさに、今後のアーバニズムにおける都市のビジョンを探求することへの在り方を示す言葉でもあるのではないか? と感じました。一方で、このような連携を生み出すためには、都市、社会における共通資本に対するガバナンスの変革、社会課題の民主化、生活者も含めた都市を構成する一人ひとりが「都市の変革に参画する権利」を公平に持つこと、在り方、あるいは、そのような変革をもたらすアーバニストやインターフェースとなる仕組みが究極的には求められるのではないか?と考えます。今後、日本の都市においても公民連携の望ましい在り方を実現するためには、どのようなプロセスが求められると思いますか?
中島:公と民の間に結構いろいろあるというのが大事なところです。今の日本の公民連携は、主に自治体と大きな企業との関係性の中で動いていますが、そうではない、いろんな民の形、公というのも政府だけではなくて、ニューヨークでいうと、先ほども少し出ましたが、ニューヨーク市の公共空間政策に深く関わってきたNPOデザイントラスト・フォー・パブリックスペース(DTPS)のように民と公の間をつなぐ存在があって、多元的にNPOが関われるシステムがあります。公民連携のプロジェクトに、そのような存在があれば、例えば民の側の一つである住民や市民がおいてきぼりになることはないのかなと思いますね。
小川:いわゆる再開発反対ですといった精神論的な話に傾いてしまい建設的な議論が行われないということよりも、前提として、公平に議論する仕組みやインターフェースができればいいと思っています。日本であれば、所有の問題はあると思うのですが、まずは、私たちができることとして、公平に都市に参加する権利があり、変えたかったら変える権利があり、言える権利があるという状況をつくることが大切なのではないかと思っています。
中島:公と民の間にプラットフォームやメディアが存在していることが大事です。デザイントラスト・フォー・パブリックスペースというのは、まさにそういったことを結びつけることをミッションとした組織で、具体的に何をやっているかというと、ハイラインの例がわかりやすいです。2人の住民が敗廃線となった高架橋の可能性に気づいて、その公園化を思いついたわけですが、彼らは専門家でもなく政府の人間との繋がりもないので、普通は思いついても、自分がその公園を生み出していけるのではないかとは考えないですよね。そこをデザイントラスト・フォー・パブリックスペースは、そういうアイデアを持った人たちを見つけて支援します。具体的にはどういう人に話を持って行ったらいいかとか、運動をどういうふうに広げていけばいいのかとか、そういうことをサポートする組織なんですね。もちろん、アイデアを募っても全部は支援できないから選ぶことになるのですが、選んだものを一生懸命支援する。基本的には彼らが持っている人材とかノウハウとかメソッドを投入して、「繋げる役割」を果たしている。
これはなかなか日本にはない組織です。これはよく聞かれることだけど、ではだれがそのような組織にお金を出しているのかということです。政府、ニューヨーク市ではなく、基本は寄付で成り立っているんですね。マーケット側の方がそういう活動があることが健全だと思っているから。その活動が自分たちに批判的な側面もある意味ではあるかもしれないけれども、そこに最後は、寄付というかたちでお金を還元しているんです。そういう回し方をしている。日本では補助金という形になるかもしれないけれども。そういうことで繋ぐ役割にもしっかりとお金がまわっていく。
小川:京都はそういうことを例えば「森から」出来ないだろうかと思っていまして。京都の文化価値の維持というところが、京都の都市の軸にずっとあるものだという分析をプロジェクトでは行ったのですが、さらに分析を重ねていったことで、文化価値の根底には森と水という自然の存在が大きいことが見えてきました。地元の方々にお伺いをすると、市内から車で2時間以上はかかるところに湿原地帯といった素晴らしい美しい森があります。実際にはそこまで移動するのも大変ではあって、人手も技能も不足してくる等、地元の方々だけで手入れをするのもなかなか難しくなってきている。一方で、保全をしてもらいたいからといって、企業にダイレクトに繋ぐと、場合によっては継続して手入れをしてもらえないとか、環境破壊につながる再開発が始まってしまうという恐れもある。だから、その間の接続となるインターフェースを構築することが重要だと思っています。企業側もESGの観点も含めて、自然や社会との共生を今は現業にダイレクトに接続しなくても何かやらないとならないよねという機運や新たな未来のビジネスモデルを構築していきたいという考えは強くなってきているので、地域・自治体と企業側の需要と供給は一致しているのではないかなと。
森を一つの空間と見なしたら、植生も維持をし、一方で、維持だけだと企業側は持続するためのリターンを得ることは難しくなると思うので、森の入口になるところは、パブリックスペースやラボとして、環境を壊すことなく地域側とも共生する形で適度に開いていき、国内外の建築家やデザイナーなどクリエイティブなアイデアを募集をして、企業の無形資産とも接続するような仕組みにできないかという仮説を考えているのですが。
京都の場合には、森で考えてみましたが、他の都市であれば、例えば東京であれば江戸文化が起点になるかもしれないし、大阪であれば水と都市の関係性がインターフェースになるかもしれません。
中島:企業は直接やろうと思っても、会社はすでに株主のものであって、投資して回収する期間がなかなか長くは取れない。そういう意味では、別のセクターにして、寄付とかそういう形にするのがいいんですね。生活者から見ると、10年20年と住み続けていくことが前提になっているので、その時間軸は違いますよね。価値観が違っていて、それをどういうふうに結びつけるかということがあって。行政も本当は結びつける役割なんだけど、なかなか行政は難しいですよね。
ニューヨークでは、寄付するのが企業だったり、個人だったりします。投資という意味ではリターンがそもそもあるようなものではないのですが、ただ、最近はESGから始まったようなケースではリターンが得られるものもあるかもしれない。もちろん税金というシステムで分配するということもあり、両方でしょうね。再分配のシステムでもあるので、日本では税金とか自治体も制度をつくっていますが、お金というよりも、そこに専門家がいて具体的にパブリックスペースを生み出していくことのシェアをしている、そういうところからもパブリックスペースが支えられているということが大事なんじゃないですかね。日本では、なかなかそこまではないなあと。
小川:ないならば、余計にやってみたいですね。
中島:大学もそういった役割の一端を担えるのかも知れません、お金はないですが。
小川:私たちロフトワークは、ビジネスとクリエイティブを接続するようなことを創業から20年以上やってきている会社でもあるのですが、クリエイティブを接続する先が、ビジネスだけではなく、今後は「パブリック」というところに接続をしていくと良いのではないかと思って、お話を聞いておりました。まずは、対話をする両方が都市に対するリテラシーを高める必要がありますよね。
中島:まちづくりのリテラシーには、もちろん専門的な話もあるけれども、一方で、生活者自身が無意識に実践しているようなことが実は大事だったりすることもあって、決して一方的に学術的な “知” としてあるわけではない。交換しあったり、眠っているものを掘り起こしたりする。もともと一人ひとりの中にある、創造性のようなものが発揮できない世の中になっているところをうまく型を外してあげると、いろんなまちで新たな動きが始まるかも知れない。
なお、ニューヨーク市がつくっている「Good Urban Design」という良いアーバンデザインについてのガイドラインですが、ニューヨークの市民たちがこういうことを学んで、自分たちの意見を持てるようにとリテラシー向上の狙いが書いてあります。
岩沢:主張するための共通の価値観と共通言語を提供すると書いてありますね。
中島:そうじゃないとね、と。デモクラタイジング、つまり民主化といって評価されているんですが。このレポートはつくり方もデモクラティックで、まず動画で概要を公開して、それに対していろんな人の意見を二年間ぐらいかけて集めて、それを編集して最終版をつくっていっている。まさに、いろんな人の知恵を集めて生活者たちの持っている。「こういうのが良いよね」という意見を基につくっていっているところも非常に面白いのです。
日本にもなかったわけではなく、例えば世田谷区も、かなり早い段階でまちづくりの道具箱というものをつくって、市民が使えるようなツールを提供してきているんですが。ニューヨークという影響力のある大きな都市で打ち出してきていることに意義を見出しますが、東京では今なかなかここまでの取り組みはないかもしれない・・・・
岩沢:何かが足りない、軸がないのかもしれない。
中島:行政に関しては、外の人材をうまく入れているというところが日本との違いとしてあって。とにかく才能ある人が公共セクターで働きたいという、その状況をつくることに大きな力を注いでいます。ニューヨークは特に起業家であるマイケル・ブルームバーグ元市長がそのあたりを変えていったんですね。そういう外からの人材を登用し、権限を与えていって。公共セクターでのこういう仕事もかっこいいというか、そういう人たちの心をくすぐるような仕立てをしたら、やっぱり能力の高い人たちが公共セクターで働こうとなっていったというのが、ニューヨークのもう一つのストーリーですね。やることは色々ありますね。
小川:私たちがやることというか、果たしたい役割もまさにこういうことですね。
中島:実際には日本でも、志も能力も高い人が公共セクターにはたくさんいるのですが、それをなかなか生かせないという状況がもったいないということですね。
岩沢:本来はそういう方がたくさんいらっしゃるのでしょうけど。
小川:今後、Aru Society Projectでは、このようなインターフェースとしての都市コモンズを東京・大阪・京都の三都市それぞれで形作っていければと考えていまして、本日の中島先生へのインタビューを通じて、参加する人たち双方のリテラシーを高めたり、対等に議論できる場や状況をつくって行きたいと改めて思いました。ぜひ今後ともよろしくお願い致します。
本日は、とても有意義なお話をありがとうございました。
Interview
公共空間から人と都市の関係を再構築する「パブリックスペース・ムーブメント」とは何か?
東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授
中島直人さん
今、都市の在り方が変わりつつある。都市の再開発が加速する一方で、私たちにとっての都市はこれからどう在るべきか?
ここでは、公共空間から改革が進むニューヨーク市における都市計画の事例をもとに東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻教授 中島直人さんにロフトワークCulture Executive マーケティング・リーダー岩沢 エリとAru Sosiety アートディレクターの小川敦子がインタビューを行った。
小川敦子(以下、小川):中島先生の著書「ニューヨークのパブリックスペース・ムーブメント〜公共空間からの都市変革 」編著者 中島直人、著者 関谷進吾・北崎朋希・三浦詩乃・三友奈々(株式会社学芸出版社、2024年発行)において、ニューヨークの都市の市政によって生まれた分断及びその解消について触れられた上でー
“そこにいない人々や届かなかった地域のことも考えなければならない。
公共空間の公共とはいったい誰のことなのか、が問われている”
という深いメッセージとも受け取れる記載が非常に印象に残っています。同時に、この本を通じて日本の都市全体においても、今後公共の在り方が問われていると感じました。都市、公共空間における「公共」について、これから私たちはどのように捉え直していくべきなのか? 是非お考えをお聞かせいただけますか。
中島直人(以下、中島): 私自身が企画した本ということもあり、具体的な事例に加えて、全体の総論的な部分を担当しました。ご質問頂いたのは、全体の総論に書いてあることですね。かなり抽象化して書いているところなので、これ以上、なかなか簡潔に説明するのが難しいのですが、「公共」をどう捉え直していくのかは、本書のとても大事な問いかけでありました。
小川:私自身が個人的に良く感じていることとして、現在の住まいは関西になるのですが、出身は東京で家族も東京に住んでいます。東京から離れて10年程経つのですが、客観的に今の東京を見ると、住んでいる人たち、つまり生活者が置き去りになっている開発が一挙に進んでいるのではないかという印象を感じることがあります。地域性や生活者の声は一体どこにあるのだろう? と思うこともあります。そこで、公共空間における「公共」の意味を改めて知りたいと思い、そのようなときに先生の著書に出会いました。これまで日本ではあまり「公」ということをあえて問うてこなかった傾向もありますが、そのようなことに対する意識を私たちは今後どのように持っていくと良いのだろうと。
中島:都市は人々が集まって住む場所です。人々の生活領域が重なりあっていくことで公共空間が生まれます。公共空間の存在は都市の都市たる由縁でもありますよね、もちろん農村にもそのような重なり合いはあるわけですが、都市はその重なり合いの密度がより濃くなるということです。重なる部分が大きいだけでなく、複雑でもあり、また固定された空間だけではなく、公共交通といった移動の空間が重なることもある。とにかくたくさんの人が住んでいるから、みんなで重なる部分をつくっていくということが都市の本質であり、魅力であるということを前提とした上で、都市のなかの公共財を誰がつくっていると考えたとき、一般的には三つの主体、論理があると言われています。
一つめは政府、統治の論理。二つめがマーケット、企業の論理。三つめが生活者、生活の論理。生活の主体は住民や市民なのですが、ここにもスペクトラムがあります。公共財の一つである公共空間もこの三つの主体、論理から捉えられるでしょう。
まず一つめについて、政府が統治的につくるのは、公園に代表される、いわゆる制度化された場所です。公園でいうと、人々の公衆衛生、健康の観点から政府が上からつくっていくという時代があります。二つめについて、企業、マーケットも公共空間を生み出しています。特に、最近多くなっているわけですよね。これは企業側からすると、経済活動的にもプラスになっている、企業の公共的な貢献が企業価値として跳ね返ってくる、パブリックな事柄にビジネスサイドも関心を持つ傾向が強くなっている。
三つめの生活の重なり合いから生まれてくるという話は、生活の論理が生み出す公共空間、すなわちコモンです。コモンがさらに重なって、パブリックとして大きなものになっていく。
このように、つくられ方によって、同じ公共空間であっても性格が違ったりしてしまう。何がその中で一番大事なのか?というと、先ほどご指摘して頂いたとおり、近代化の過程のなかで統治的な側面が公共空間をつくる主流だったのですが、次第に政府のイニシアティブは弱くなっていって民間も公共的なるものを担うようになってきた。しかし何れにおいても、住民や生活の論理は蔑ろにされる危険がある。そこを、もう一度回復しなければならないよねというのがパブリックスペース・ムーブメントの本来の目的の一つです。
だからといって、住民運動だけで全てをつくり出すということではなく、政府も市場も三つの主体が生活の論理を第一に尊重しながら共通の意識で一緒に取り組んでいく。それが公共空間でしょうと。
なお、場所場所によって生活の論理の在り方が違ってきます。例えば東京だと、丸の内の市民と言ったら誰なんでしょうと。住民はいないわけです。だとすると、おそらくそこで働いている人なんでしょう。企業の論理が強く、その人たちも単に消費者として公共空間を享受しているだけだったかも知れない。しかし、最近は場所を生み出す人たちも出てきているし、そのことを重視しないと、すぐに隅に追いやられるのが生活の論理。公共空間において最も大事なのは生活の論理であろうと、この質問から思ったことですね。
小川:なぜ、日本は今のような状況になってしまったんでしょうか。
中島:日本だけではないんですよね。他の国も似たようなことがあります。歴史的に言えば、かつては市場はここまで強くなかったし、生活者がつくりあげてきた “まち” があった。近代化の過程で統治の原理が強くなり、そこにいろんなものを委託してきたわけですよね。統治と結びついて様々な専門家が生まれ、その人たちに自分たちの生活空間、コモンをつくることをある意味ではお任せをするように進んでいったのが近代。公共空間に限らず、生活にまつわるいろんなことが、おそらくはそのような形で、公的サービス、その後、民間サービスとして自分たちの生活からは一旦切り離したものとなっていったし、それを望んだんですよね。
結果として、多くの人にとって生命の危険がなくなり、さらに一定の生活水準が達成されたわけです。統治の力、あるいは専門家の力、さらにマーケットの力で成し遂げられたことではたくさんあると思うんですけれども、その先が行き詰っている。あるいは、そちらに行き過ぎた結果、そのように生きたかったわけではないと少しずつ気づく。つまり、今と異なるありかたを生活の論理をもう一回立て直すことで見出そうとなる。
ニューヨークでいうと、1960年代に近代都市計画に警鐘を鳴らしたジャーナリストのジェーン・ジェイコブスや在野の社会学者で都市エスノグラフィー分野におけるパイオニアでもあるウィリアム・ホワイトといったこの本でも言及した人たちは、まさに生活の論理から、当時の政府の都市計画を批判をして、今につながるパブリックスペース・ムーブメントの基盤をつくっているんです。
ニューヨークの場合はその歴史がまずあるので、市民、生活の論理が公共空間の基調にある。さらに言えば、個人の個というものが良くも悪くも強くて、公共空間とは、まさに個人を表現する場なんですよね。そこは日本とは大きく異なる意味があって、そういう場所に行くと自分というものを主張している。
多様性というのは、個がはっきりと見えてこないと多様であるということも結局見えないわけですが、日本はそういう個を強く打ち出す文化がもともと馴染まないのかもしれないですね。人から抜きん出るとか、自分の思っていることを主張することがいつでもポジティブに受け止められるわけではないですよね。
公共空間も似たようなところがあって、多様な主体こそが都市の生活の論理であって、それぞれの多様な生活が主張されて重なりが生まれてくると。日本の場合は、なんとなくの違いがあっても具体的な違いを曖昧にするところがあって、公共空間を見てもだいぶ違う。ニューヨークとは使い方も含めて。ニューヨークでは公共空間で一人でトランペットを吹いていたり主張している人がいるけれども、日本ではあまり見かけないかもしれないです。
生活の論理が弱い理由は、公共空間において日本は所有の力が強いという面もあると思います。本来、所有と利用は別の概念で、公共空間というのは所有から人々を解き放つというか、本来は、その利用のされ方、使われ方がまさに公共的かどうかが本質なので、そちらが重視されれば対等に生活の論理という話が出てくるわけですが、日本の場合には、土地の所有、所有権といったものが利用よりもはるかに強いんですね。生活者はどうしても使わせていただいているというか、公園であっても、いろんなルールで縛られていることを仕方ないよねと思ってしまったり、企業が嫌なことはやらないとか、時間も何時までの利用という縛りがあることも全て生活の論理から決まっているわけではないのです。市町村であっても自分たちのものではないと思っていて、あくまでもお役人が持っているものであると自由に使えないし、規制がかかっていても、まあいいかなと思ってしまうことが傾向としてありますよね。
ニューヨークの市民を見ていると、例えば道路はニューヨーク市のものなわけですが、だからこそ、それは自分たちのものだと堂々と使う。本書ではタイムズスクエアの話のところで書いてあるわけですが、広場化した後で、写真を撮らせて法外なお金をとるといったチップビジネスが問題になった時に、ニューヨーク市がルールをつくり取り締まろうとうると、タイムズスクエアの地域の人たちが、いや自分たちで考えるからそれは待ってくださいと。自分たちで公共空間をこうやっていけば問題なく使えるんではないかとアイデアを出し、実際にルール化された。土地はニューヨーク市のもの、日本でいうところの公共用地なのですが、周りの人たちにとっては自分たちのまちの中にあるところで、自分たちで自治的に管理して責任を持ってやっていくと。これは日本ではなかなかないですよね。
小川:京都は、そのような自治的な強さがまだあるかもしれませんね。
中島:そう、古いまちではそういうことがまだ残っていますね。東京でも神田あたりにいくと、神田の道というのは、もともと関東大震災後の帝都復興区画整理の時に自分たちの土地を出し合ってつくったものだから、今でも自分たちのものだという意識が残っているようで、神田の人たちは道を専有する際は堂々と使っていますね。もちろん制度的な手続きはしているのでしょうが、古いまち、もともとそういったことが続いているまちというのは日本でもあるわけですよね。
岩沢えり(以下、岩沢):ニューヨークにおける利用者の権利と神田のケースの元所有者という違いはありますね。神田の人たちの論理では、もともと所有していたということが大きい。もともと自分たちのものだったという意識が強いということですね。
中島:神田の人たちの論理では、もともと土地を出し合ったということが大きいかもしれないですね。京都は小学校を地域の力でつくってきた歴史がありますよね。本当にコモンズとして出来上がっている。なかなか他のまちでは見られないかも知れません。
小川:ニューヨーク市の公共空間政策に深く関わってきたNPOデザイントラスト・フォー・パブリックスペース(DTPS)が2015年に発表した報告書のテーマに使用された「パブリックスペース・ムーブメント」という言葉について、本著ではー
“単に公共空間を生み出すだけでなく、都市のガバナンスの変革や公平という観点から公共空間の意義の再考を促したプロジェクトや活動を総称し、公共空間を主題とした都市全体にわたる改革運動のことである”
という解釈を先生がなされてますね。これまでお話を伺ってきたように、自治体やデベロッパーなどの民間企業が主体になる場合は経済価値の創出に重きが置かれがちであり、また本来都市の創造性を生み出していく生活者の存在がお座なりになることが往々にしてあるのも、また事実です。おそらくニューヨーク市においてもガバナンスの変革や都市全体の改革はまだ過渡期にあるのだと想像していますが、ニューヨーク市が行った改革としての「パブリックスペース・ムーブメント」について、私たちがしっかりと学ぶべき点、あるいは改善を重ねていくべき点についてお聞かせください。
中島:パブリックスペース・ムーブメントというのは、ニューヨークの人たちは最初からパブリックスペース・ムーブメントという運動をやろうとして取り組んでいたわけではなく、後で振り返って、様々な取り組み、活動を一括してパブリックスペース・ムーブメントと呼んだというものです。
パブリックスペースといっても、公園もあれば、街路もあれば、広場もあれば、公開空地もあります。これらは基本的に別々の仕組みで生まれてきているものです。また、パブリックスペースという概念そのものはごく普通に理解されるものですが、それを生み出す仕組みや活動を一つのムーブメントとして捉えるのも大事なところです。
よくあるのは、行政内でも縦割りになっているという状況です。しかし、ニューヨークでは別々の仕組みで出来上がっていく空間だけども、そのつくり方で区別するのではなく、全て公共空間として一体として考えていくんだという、そういう運動なんだということ。まず、そのような意味があるんですね。
この本でも連続したムーブメントに関する活動として、ニューヨーク市の政策、関連組織、どのような公共空間整備の事例なのかについて一覧での年表として掲載していますが、ここに提示されている一つ一つの出来事はよく知られていますし、例えばハイラインとタイムズスクエアとは実際別の話で、タイムズスクエアは道路の広場化のことだし、ハイラインは廃線跡高架の公園化です。そうしたプロジェクトを全てパブリックスペースとして境界なく、一つものとして捉えたということなんですよね。
そして、それはガバナンスとも関係します。パブリックスペースを運営している人たちもかなり多元的なんですよね。ニューヨーク市が運営しているものもあれば、公民連携でやっているものもあります。民も住民団体もあったり企業もあったり、そういう主体を全部ひっくるめて、一つの運動体なんじゃないかと。パブリックスペース・ムーブメントのそうした捉え方そのものがまずはとても意味があるものではないかと思います。
ニューヨークがこういった変革が出来た要因としては、デザイン・フォー・パブリックスペースなどのパブリックスペースを生み出すことを専門としたノンプロフィットの団体があったことがまず第一に指摘できます。道路だけとか特化せずに、もともとパブリックスペースの理念を持って様々な支援をしてきたのです。その上で、なぜパブリックスペースに皆が力を注いできたのかということになると「報告書Sharing the City: Leearning from the New York City Public Spase Movement (都市を共有する: ニューヨークのパブリックスペース・ムーブメント)* 」にもある、 “Sharing” というのが端的に表現していて、結局、さきほど所有という話もありましたけど、都市はみんなのもので誰かのものではない、都市というものはシェアするものなんだと。その理念の象徴がパブリックスペースであり、パブリックスペースを通じて一人ひとりが都市を自分のものだと思う、都市をシェアしている状態を目指すんだということです。
シェアリングというのは、何の対語なのかと考えると、これは同時期にニューヨーク市が出したレポートのタイトルに「We Build the City」とあります。ニューヨーク市が出すと自分たちが都市をつくった、 “Building” となるんですよね。他にも、「Designing the City」というものもあったりするわけですが、パブリックスペース・ムーブメントの話は、 “Design” “Building” “Construction”というのではなく、 “Sharing” と表現していることからしても、やはり生活の論理から捉え直している、パブリックスペースとはそういうものなんだと。メッセージとしては大きいですよね。
ニューヨークに限らず、アメリカの都市は今でも人種にまつわる問題が都市計画にとっても一番ケアすべき課題としてあって、そこに貧富の格差も広がり続けている。そういう人たちも一つに、みんなそれぞれが都市を共有する仲間なんだと。それをパブリックスペースで実現するんだと。公共空間によっていろんな人にシェアされていくという都市、社会を目指しているわけなんですよね。結局、パブリックスペース・ムーブメントは「社会の在り方」のことをいっていている。パブリックスペース・ムーブメントだけで、すべてが解決するわけではなく、例えばアフォーダブルな住宅を提供することも大事なのですが、みんな、それぞれが別なんだけれども、同じ都市、パブリックスペースをシェアして、一緒に暮らしているような状態を目指すという点は確認しておきたいところです。
翻って日本の状況を見たときに、そこまでそういう強い気持ちというか強い動機があるのだろうかと。例えば、いろんな公共空間を連ねがらしっかり進めているという意味では、大阪はうめ北から始まって、その流れのトップランナーだと思うんですね。御堂筋とか、なんば広場とか。一個一個、事業主体、制度も違うものをやはり一つのパブリックスペース・ムーブメントに近づけている。しかし、なんのためにやっているのかというと、ニューヨークとは違うのかも知れない。もちろん、違うからといってダメだといっているわけではない。
しかし、ニューヨークでは、パブリックスペースが都市の根幹というか、論理基盤にある。自分たちの中での「どう在りたいか」という内発的なことから始まっている、このこと抜きには理解できない。
ニューヨークのデベロッパーも、とても強い力を持っているわけですが、彼らもこのようなことを通して、やはり見返りがあるからやっている。そういうことも含めて、ムーブメントです。日本以上に都市計画が取引条件になっていて、こういうことをやるともっと大きなものが建てられると、ダイナミックなことをやっています。メリハリをつけてやっているのが、ニューヨーク。それがアメリカの都市計画でして、自治体としてのニューヨーク市がやっていることもはっきりしていて、デベロッパーとニューヨーク市の交渉、いや戦いという部分もある。
日本の場合は、企業が強く、地方自治体のイニシアチブが弱くなっているのが気になっています。特に大都市圏では、行政は民間が提案したことをどう進めるのかということに注力し過ぎている。企業のプランニング、開発を邪魔しないようにと。結果、税収増で自分たちの業績にもなるということで、あまりプランニングマインドを出さない、出しづらい状況にあるように見受けられます。
結局、政府、地方自治体を支えるのは住民や市民なので「住民や市民の在り方がどうなのか?」ということと関係している。ニューヨークの場合は、企業と行政だけでなく第三者としての市民がいるんです。メディアの在り方とかも理想的な形だけではないかもしれないけれど、企業に対しても政府に対しても言うことを言うような人たちがいて、メディアがある。その人たちがなぜいるのかということも大事なことで、そういう人たちを育てる文化というものも、そのためのツールがあることも大事なんです。それがニューヨークなりの民主主義のかたちです。
日本は生活者の論理とそういうこととの距離があって、かつ、生活者側も都市で起きていることに対して知識というか、問題意識、問題視しないような姿勢になっているように思います。民主主義の根幹にあたる部分です。どんなにシステムを整えても、市民がいなければ成り立たない。ニューヨーク市が力を入れているのは、そのようなある種の土壌を育てることです。都市デザインのガイドラインも、市民、住民が読んで、市民が良い都市デザインとは何か、リテラシーというか、知識をつけて、それで対等に民間企業や自治体にものを言えるような社会をつくろうという明確な意図で編集されていたりするわけですよ。日本では、そこまではまだないですよね。基本、お任せなんですよね。
日本の自治体が出すプランの冊子は、これまであまりデザインがされてこなかった。誰かに読んでもらうためではなく、書類になっていて。中身もすぐに読み飽きてしまうというか。形式的なものでしかなく、誰がどういうふうに読んでくれて、その結果、何が起きるのかというビジョンがなくて、一応計画というものがありますと出すケースが多かった。最近は変わってきていますが。どれだけ「生活の論理に基づく声」が出せるようになっているか? 日本はまだ弱いですね。そもそも制度が生活者の論理を入れないようになっています。最近大きな議論になっている明治神宮外苑の件もそうかもしれません。
けれども、これは最近になって出てきた議論ということではないのです。日本でも、デモクラティックな都市計画を追い求めてきた人たちがいます。都市計画が導入された当初からオルタナティブを求めてきたけれども、日本ではなかなか主流にはならない。日本の国づくり、日本の近代化はなんだったかということと関係している。日本の近代は政府主導で、そういう市民社会を熟成する時間を省略したからこそ、こういう国をつくってこれたということでもある。今、そのことを理解したうえで、省察をしているし、市民社会の成熟ということに対して、日本の2倍、3倍の時間をかけてやってきている国や都市もあるということも、その省察の視野に入れておくべきです。
岩沢:ちょっと立ち止まって、考えていくタイミングでもありますよね。
中島:歴史を研究していると、そういう気持ちになりますね。
小川:「都市の哲学」をどのように見つめ直し、その価値を再定義していくことが重要なのか?そのようなことをここから議論していきたいと思います。
“ニューヨークの都市のアイデンティティに根差した運動から受け取るべきは、突き詰めれば、やはりなぜ公共空間なのかを問うこと、各都市がそれぞれの根幹に置く自分たちなりの価値、その哲学を見つめなおすことが大事であるというメッセージに尽きるように思われる。
私たちの都市はニューヨークとは違う、では何がどう違うのかという認識が出発点である。その点をないがしろにして、公共空間のデザインや運営の手法のみに注目することは、木を見て森を見ず、公共空間を見て都市改革を見ずとなる”
著書に書かれた先生の言葉は、現代を生きる私たちが、まさに見失っている視点であり、目的の空白化による形骸化された都市の開発や価値の均一化といったことに繋がっていくのではないかと感じました。先生が大阪の都市計画について關一(せきはじめ)さんのことについて深く語っていらっしゃるインタビュー記事を拝見したことがあるのですが、このように非常に強い信念を持って大阪の都市の基盤が創られたことにとても驚きました。
中島:関一は都市計画という言葉を日本で初めて使った人なのですが、学者で、ヨーロッパにも留学をしていたから、ヨーロッパ的なことを頭におきながら都市計画を考えた人です。彼の「住み良い都市」という生活者の側から立ち上げる都市像は今では当たり前の話ですが、当時、日本の都市計画は、そのような都市像をはっきりとは示していなかった。そういうところを変えなければならないと、関一は大阪の市長になるのですが、生活の論理に立つような都市計画の重要性に気づいていた一人でしょうね。
小川:日本にもそういう人たちがいたということを知ることがまず大事ですよね。
中島:私の研究は、まさにそういうことを探究してきました。オルタナティブな流れの都市計画の運動と思想を捉えて、それを今に繋げようと。そういうことを念頭におきながらニューヨークの本も書いている。
小川:そこが大事ですよね。
中島:日本の都市計画は一見すると哲学を持たないというか、技術や制度に集中しているので、味気ない気がしますよね。哲学という言葉が適当かはわからないけれども、富山市と一緒にやった研究でそのことについて考えました。『コンパクトシティのアーバニズム』という本にしています。富山は好きな地方都市の一つです。
富山はコンパクトシティということで、国も応援して頑張ってきた都市です。富山のコンパクトなまちづくりは、持続可能な都市を目指すまちづくりで、郊外まで延び切った市街地をこのままにしていては、子供達の世代においてはもう維持できないということに20年ぐらい前に気づいて、その後、ずっとコンパクトなまちづくりを掲げて様々な施策をやり続けてきたことで、それこそ、富山では、おばちゃんも、中学生も、皆そういうことを知っている。
もともと、コンパクトなまちづくりに反対していた人たち、確かに慣れ親しんできた風景が変わったりすることもあったのでその理由はよく分かるのですが、その人たちでさえも次第に自分たちの居場所をコンパクトなまちづくりによってつくっていけるのではないかと姿勢が変わっていった。
ある都市が明確な問題意識のもとこれをやるんだというはっきりとした哲学を持ち、つまり単に市長の思い付きとか趣味とかではなくて。自分たちが富山という都市から受け取ってきたものを次の世代の人たちに受け継いでいくという想いがあって。都市計画というものが単に制度であって、生活と縁遠いものではなく誰もが対話できるものである、都市計画もある種の人格があるんだということを富山は教えてくれます。
コンパクトなまちづくりのような強い思いを持っているがゆえに対話ができる都市計画というのは、なかなか見られない。ここでの哲学は生きるとは何かということの探求というよりも「ぶれない芯がある」という意味です。そして、芯があるからこそ、個々の取り組みは柔軟なんです。コンパクトなまちづくりというのがしっかりあるので、様々な新しいクリエイティブな取り組みが出てきている。ニューヨークも同じで、パブリックスペースを通じて、そういうところが見える。
冒頭でインタビューの前に、小川さんが展開してくれた京都市都市戦略プロジェクトの京都のコモンズの仕組みに関する図式も見せてもらいましたが、「京都が主役」ですと仰いましたよね。すごく面白いなと。主役=都市そのものですよね。都市というものが住民や企業と同じように主体としてある、ということ、都市と付き合うことでいろんな面白いことができるという感覚があります。
小川:はい。ありがとうございます。仰る通りで「創造的都市、京都」という概念であり、哲学であり、都市の中の共通の目的を主役として “都市、京都” として表現しています。プロジェクトを通して、京都という都市の内側に入って対話を重ねるほどに、都市は生き物だなあと思っています。
中島:市民の間でも、私の都市であるよね、そこに自分がいるよねと感じられるところは必ずしも多くないのです。
小川:京都はもともとそういう気概が街にあって。70代以上の方々は非常に気概もあって、京都への思いも強い。一方で、60代の方と話すと自分が京都をいかに知らなかったと思うことが多いと。もしかしたら、それは京都というものが自分の内側ではなくて、外側に捉えられてしまう感覚に変わってきているのかもしれない。そういう印象もあります。
中島:もちろん、みんなが同じように都市と付き合う、あるいは、まちづくりに参加する必要があるということでもなくて。それはそれでやや危険です。強制的なものではないのです。都市と積極的に付き合いたいという人がある程度いれば、都市は良い状態ということでもあるんですね。都市に住みながらも都市と関係を断つという生き方もあって。あえて農村との違いを強調するとすれば、農村ではみんなが同じでないと生きづらいところもあるかと思うのですが、都市というのは自分と違う人がいるのが大前提であり、そのことが都市の面白さである。ただ、みんな違うということで終わってしまうと、それはそれで集まって住んでいる意味がなくなってしまうので、どのぐらいの人たちがそのような想いを持てば、全体としては都市が持続可能になるのか? 持続可能ということは、究極的には次の担い手がそのまちから生まれてくるのかという話なので、そういう都市で生まれ育った人が、また都市を次に繋げていけるのかというところに関心がありますね。
小川:そのような意味では、京都の場合は、明治期に教育と産業政策の二軸を都市のビジョンとして掲げていて、気概を持った都市として世代ごとに受け継がれてきたという経緯があります。京都の70代の方々ぐらいですと、喫茶店でも普通に議論がなされていくような文化であり、都市からそういう人を生み出し続けていたというのは、あるかもしれませんね。それには教育も大きいかもしれません。
中島:新しく入ってきた人でも良いのですが、都市に惹きつけられて、惹きつけられた人が、自分が今度は都市に対して主体的に関わっていき、次の人を惹きつけていく。そのまちを好きな人が多いまちが他からも人気のまちであるということにもつながります。
小川:持続するには、哲学が必要ですか?
中島:都市なんてあくまで道具だから、なくなってもよいという人もいますが、都市を人生のパートナーで、都市とのうまい付き合い方というか、都市も一人の人間のようであって、お互い尊重し合いながら、うまくやっていくのがいいと思います。哲学といっていいかはやはりまだ分かりませんが。
小川:次に、都市のガバナンスの仕組みについて、ここから議論をしていきたいと思います。
“公民連携とは、単に公の役割を民に開く・任せるのではなく、
都市の中から幅広く知恵を集めることである”
という著書に書かれた定義は、まさに、今後のアーバニズムにおける都市のビジョンを探求することへの在り方を示す言葉でもあるのではないか? と感じました。一方で、このような連携を生み出すためには、都市、社会における共通資本に対するガバナンスの変革、社会課題の民主化、生活者も含めた都市を構成する一人ひとりが「都市の変革に参画する権利」を公平に持つこと、在り方、あるいは、そのような変革をもたらすアーバニストやインターフェースとなる仕組みが究極的には求められるのではないか?と考えます。今後、日本の都市においても公民連携の望ましい在り方を実現するためには、どのようなプロセスが求められると思いますか?
中島:公と民の間に結構いろいろあるというのが大事なところです。今の日本の公民連携は、主に自治体と大きな企業との関係性の中で動いていますが、そうではない、いろんな民の形、公というのも政府だけではなくて、ニューヨークでいうと、先ほども少し出ましたが、ニューヨーク市の公共空間政策に深く関わってきたNPOデザイントラスト・フォー・パブリックスペース(DTPS)のように民と公の間をつなぐ存在があって、多元的にNPOが関われるシステムがあります。公民連携のプロジェクトに、そのような存在があれば、例えば民の側の一つである住民や市民がおいてきぼりになることはないのかなと思いますね。
小川:いわゆる再開発反対ですといった精神論的な話に傾いてしまい建設的な議論が行われないということよりも、前提として、公平に議論する仕組みやインターフェースができればいいと思っています。日本であれば、所有の問題はあると思うのですが、まずは、私たちができることとして、公平に都市に参加する権利があり、変えたかったら変える権利があり、言える権利があるという状況をつくることが大切なのではないかと思っています。
中島:公と民の間にプラットフォームやメディアが存在していることが大事です。デザイントラスト・フォー・パブリックスペースというのは、まさにそういったことを結びつけることをミッションとした組織で、具体的に何をやっているかというと、ハイラインの例がわかりやすいです。2人の住民が敗廃線となった高架橋の可能性に気づいて、その公園化を思いついたわけですが、彼らは専門家でもなく政府の人間との繋がりもないので、普通は思いついても、自分がその公園を生み出していけるのではないかとは考えないですよね。そこをデザイントラスト・フォー・パブリックスペースは、そういうアイデアを持った人たちを見つけて支援します。具体的にはどういう人に話を持って行ったらいいかとか、運動をどういうふうに広げていけばいいのかとか、そういうことをサポートする組織なんですね。もちろん、アイデアを募っても全部は支援できないから選ぶことになるのですが、選んだものを一生懸命支援する。基本的には彼らが持っている人材とかノウハウとかメソッドを投入して、「繋げる役割」を果たしている。
これはなかなか日本にはない組織です。これはよく聞かれることだけど、ではだれがそのような組織にお金を出しているのかということです。政府、ニューヨーク市ではなく、基本は寄付で成り立っているんですね。マーケット側の方がそういう活動があることが健全だと思っているから。その活動が自分たちに批判的な側面もある意味ではあるかもしれないけれども、そこに最後は、寄付というかたちでお金を還元しているんです。そういう回し方をしている。日本では補助金という形になるかもしれないけれども。そういうことで繋ぐ役割にもしっかりとお金がまわっていく。
小川:京都はそういうことを例えば「森から」出来ないだろうかと思っていまして。京都の文化価値の維持というところが、京都の都市の軸にずっとあるものだという分析をプロジェクトでは行ったのですが、さらに分析を重ねていったことで、文化価値の根底には森と水という自然の存在が大きいことが見えてきました。地元の方々にお伺いをすると、市内から車で2時間以上はかかるところに湿原地帯といった素晴らしい美しい森があります。実際にはそこまで移動するのも大変ではあって、人手も技能も不足してくる等、地元の方々だけで手入れをするのもなかなか難しくなってきている。一方で、保全をしてもらいたいからといって、企業にダイレクトに繋ぐと、場合によっては継続して手入れをしてもらえないとか、環境破壊につながる再開発が始まってしまうという恐れもある。だから、その間の接続となるインターフェースを構築することが重要だと思っています。企業側もESGの観点も含めて、自然や社会との共生を今は現業にダイレクトに接続しなくても何かやらないとならないよねという機運や新たな未来のビジネスモデルを構築していきたいという考えは強くなってきているので、地域・自治体と企業側の需要と供給は一致しているのではないかなと。
森を一つの空間と見なしたら、植生も維持をし、一方で、維持だけだと企業側は持続するためのリターンを得ることは難しくなると思うので、森の入口になるところは、パブリックスペースやラボとして、環境を壊すことなく地域側とも共生する形で適度に開いていき、国内外の建築家やデザイナーなどクリエイティブなアイデアを募集をして、企業の無形資産とも接続するような仕組みにできないかという仮説を考えているのですが。
京都の場合には、森で考えてみましたが、他の都市であれば、例えば東京であれば江戸文化が起点になるかもしれないし、大阪であれば水と都市の関係性がインターフェースになるかもしれません。
中島:企業は直接やろうと思っても、会社はすでに株主のものであって、投資して回収する期間がなかなか長くは取れない。そういう意味では、別のセクターにして、寄付とかそういう形にするのがいいんですね。生活者から見ると、10年20年と住み続けていくことが前提になっているので、その時間軸は違いますよね。価値観が違っていて、それをどういうふうに結びつけるかということがあって。行政も本当は結びつける役割なんだけど、なかなか行政は難しいですよね。
ニューヨークでは、寄付するのが企業だったり、個人だったりします。投資という意味ではリターンがそもそもあるようなものではないのですが、ただ、最近はESGから始まったようなケースではリターンが得られるものもあるかもしれない。もちろん税金というシステムで分配するということもあり、両方でしょうね。再分配のシステムでもあるので、日本では税金とか自治体も制度をつくっていますが、お金というよりも、そこに専門家がいて具体的にパブリックスペースを生み出していくことのシェアをしている、そういうところからもパブリックスペースが支えられているということが大事なんじゃないですかね。日本では、なかなかそこまではないなあと。
小川:ないならば、余計にやってみたいですね。
中島:大学もそういった役割の一端を担えるのかも知れません、お金はないですが。
小川:私たちロフトワークは、ビジネスとクリエイティブを接続するようなことを創業から20年以上やってきている会社でもあるのですが、クリエイティブを接続する先が、ビジネスだけではなく、今後は「パブリック」というところに接続をしていくと良いのではないかと思って、お話を聞いておりました。まずは、対話をする両方が都市に対するリテラシーを高める必要がありますよね。
中島:まちづくりのリテラシーには、もちろん専門的な話もあるけれども、一方で、生活者自身が無意識に実践しているようなことが実は大事だったりすることもあって、決して一方的に学術的な “知” としてあるわけではない。交換しあったり、眠っているものを掘り起こしたりする。もともと一人ひとりの中にある、創造性のようなものが発揮できない世の中になっているところをうまく型を外してあげると、いろんなまちで新たな動きが始まるかも知れない。
なお、ニューヨーク市がつくっている「Good Urban Design」という良いアーバンデザインについてのガイドラインですが、ニューヨークの市民たちがこういうことを学んで、自分たちの意見を持てるようにとリテラシー向上の狙いが書いてあります。
岩沢:主張するための共通の価値観と共通言語を提供すると書いてありますね。
中島:そうじゃないとね、と。デモクラタイジング、つまり民主化といって評価されているんですが。このレポートはつくり方もデモクラティックで、まず動画で概要を公開して、それに対していろんな人の意見を二年間ぐらいかけて集めて、それを編集して最終版をつくっていっている。まさに、いろんな人の知恵を集めて生活者たちの持っている。「こういうのが良いよね」という意見を基につくっていっているところも非常に面白いのです。
日本にもなかったわけではなく、例えば世田谷区も、かなり早い段階でまちづくりの道具箱というものをつくって、市民が使えるようなツールを提供してきているんですが。ニューヨークという影響力のある大きな都市で打ち出してきていることに意義を見出しますが、東京では今なかなかここまでの取り組みはないかもしれない・・・・
岩沢:何かが足りない、軸がないのかもしれない。
中島:行政に関しては、外の人材をうまく入れているというところが日本との違いとしてあって。とにかく才能ある人が公共セクターで働きたいという、その状況をつくることに大きな力を注いでいます。ニューヨークは特に起業家であるマイケル・ブルームバーグ元市長がそのあたりを変えていったんですね。そういう外からの人材を登用し、権限を与えていって。公共セクターでのこういう仕事もかっこいいというか、そういう人たちの心をくすぐるような仕立てをしたら、やっぱり能力の高い人たちが公共セクターで働こうとなっていったというのが、ニューヨークのもう一つのストーリーですね。やることは色々ありますね。
小川:私たちがやることというか、果たしたい役割もまさにこういうことですね。
中島:実際には日本でも、志も能力も高い人が公共セクターにはたくさんいるのですが、それをなかなか生かせないという状況がもったいないということですね。
岩沢:本来はそういう方がたくさんいらっしゃるのでしょうけど。
小川:今後、Aru Society Projectでは、このようなインターフェースとしての都市コモンズを東京・大阪・京都の三都市それぞれで形作っていければと考えていまして、本日の中島先生へのインタビューを通じて、参加する人たち双方のリテラシーを高めたり、対等に議論できる場や状況をつくって行きたいと改めて思いました。ぜひ今後ともよろしくお願い致します。
本日は、とても有意義なお話をありがとうございました。
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