Essey
見えがくれする、東京山の手の都市空間
東京大学大学院 工学系研究科都市工学専攻 教授
中島 直人
建築家・槇文彦氏の著作に『見えがくれする都市』(鹿島出版会、1980年)がある。槇と槇の事務所のスタッフであった3名との共著というかたちで出版された。東京という都市を対象に、歴史的に存在してきた都市の形態、その構造や要素を、地域社会特有の文化的集団意思の投影として見出していこうという試みである。タイトルにある「見えがくれ」は、槇によれば、「都市の形態の背後にある構造は必ずしも見えていないし、しかし全くみえていなくもない、それは絶えず見えがくれしている」ことを表している。現代の都市空間と歴史的に存在してきた都市の形態とは無縁ではない。かといって、都市の表層の変貌は激しく、一見ではその縁は見出しづらい。槇らは眼前の都市形態の背後にある下図を理解することを目指した。総論「都市を見る」に続けて、各論は「道の構図」、「微地形と場所性」、「まちの表層」、そして「奥の思想」と展開する。東京-日本独自の都市の形態を探究するということは、欧米の都市の形態との違いを意識するということでもある。全体を統べるシステムの卓越、建物内外や公私領域の明確な境界の設定、垂直性を誇示する中心の存在、それらに対して、東京、特に槇らがスタディの中心に据えた山の手において、局所的な解の陣取りとそれらの間のすき間、街路と建物との関係の多様性、表層を構成する薄い平面とすき間、そして水平性を強調し、見えざる深さに象徴性を宿す「奥」などが見出される。大事なことは、これらの議論は、欧米由来の近代都市計画原理への批判的視座をおのずから包含しているということである。歴史的に存在してきた都市の形態とは無関係に進行する都市化、場所の喪失に対抗する方法を見出すこと、それがインターナショナルに活躍する建築家でありつつ、東京山の手の生粋のアーバニストであった槇の動機であった。
この優れた都市論の出版から半世紀ほどがすでに経過した。出版後五十年近くの間も、バブル経済期の地上げと再開発、2000年代以降の経済政策としての規制緩和、住宅需要の都心回帰を前提とした都市再生プロジェクトが次々と実行され、東京は引き続き大きく変貌を遂げていった。たくさんの超高層ビルが建ち、街並みが垂直に延びた。かつての谷が丘に変わるほどの改変を経験した地域もある。しかし、それでもなお、東京山の手の歴史的な基層は見えがくれしている。都市は幾つかの軸とレイヤーで重層的に形成されている。地形や水系、植生が生み出す基盤としての自然軸、街路や街区、建物、空地などの施設や土地利用で構成される空間軸、人々の生活行為の集積が織りなす場所としての生活軸があり、それぞれに時代時代のレイヤーがある。自然と空間、生活の3つの軸は密接に絡み合って、一つの時代のレイヤーを成すが、ある時代のレイヤーは前の時代のレイヤーを覆い隠してしまうのではない。そもそも各時代のレイヤーはたくさんのすき間を持っているし、前の時代のレイヤーの起伏や文様の多くは次の時代のレイヤーにも写し取られる。だから、常に歴史的な基層は透かし見えている。見えがくれしている。
槇らが着目した東京山の手は、とりわけ自然軸において豊かな表情を持つ。山の手は台地が低地に接する際のことを指すが、東京山の手の場合は武蔵野台地の際ということになる。その最初の際は、現在のJR山手線が描く長円の西より半分にほぼ重なる地域で、小さな谷がいくつも入り込み窪地をつくり、複雑な様相を見せている。坂が谷上と谷下をつなぐ。窪地には湧水が見られる。ここに槇の指摘した「奥」性が宿る。ただし、こうした台地の際は一続きの崖線のような線状の突端ということでもない。そして武蔵野台地自体も平坦な一枚の台地ということでもない。現在の東京二十三区の周辺区あたりまで武蔵野台地は西に向かってゆっくりと標高を上げていき、神田川や善福寺川、石神井川などの江戸以来の都市の水源となる湧水地帯に到達する。そこには山の手と言ってよい崖や窪地が見られる。山の手=武蔵野台地の際は、このあたりまでの幅広の地域と見てよい。湧き出た表流水は、今度は低い方へ、つまり西から東に向かって、周囲の水を集めながら中小河川を成し、谷筋を台地の中に刻んでいく。特に小さな水路は周囲の市街化にともなってすでに暗渠化されてしまっているところが多いが、今もなお周囲より少しだけ低い、蛇行する道筋という微地形として姿を残す。東京山の手の都市空間の魅力は、こうした台地と中小河川が細やかに織りなす地形に帰するところが大きい。のちに生み出されることになる都市のなかの無数のミクロコスモスの多くは、都市が成立する以前に原地形によって予め規定されていたのである。
東京山の手にあたる地域のほとんどは、江戸時代までは朱引きの外、田園・農村地帯であった。そこには上記の地形を前提として、尾根をゆく幾つかの街道が田畑や叢林の間を抜けるように走り、集落、農家が点在していた。武蔵野台地上には江戸成立以前からの古道も数多く存在し、それらは江戸―東京の中心に向かう街道網とは別の、例えば鎌倉道のような多様な方向性を持っていた。近代に入ってから、東京は東から西へ徐々に市街地を拡張していったが、その山の手の拡大、都市化の過程もまた一様ではなかった。都市化以前の田園、農村地帯の基盤をそのまま都市骨格として市街化していった地域と、土地区画整理事業などによって面的な都市基盤を整備しながら市街化した地域とでは、立ち上がったまちの姿は大きく異なった。街路基盤の違いは建物の形態やその更新にも影響を与える。近代都市計画は、放射環状の幹線道路網およびラダー状の準幹線道路網によって台地に新たな分割をもたらし、ゾーニングによって時間をかけて地域ごとの建物の形態や用途の違いを生み出してきた。さらに高度経済成長期以降、防災性能の向上に加えて高度利用が期待された主要鉄道駅周辺の商業地を中心に、局所的な再開発事業によって街区は統合、再編され、建築は垂直方向に延びていった。以上の経緯を経て、東京山の手のパッチワーク的な構造が強化された。東京山の手は多様なアーバニズムのアリーナの様相を成している。
さて、そうした自然軸、空間軸の時間的重なりが生む東京山の手の豊かなパッチワーク的構造の中で、私たちは都市のもう一つの軸、最も大事な生活軸を生きている。鉄道を中心とする便利な公共交通を使って、山の手と都心との間を毎日往復する単調な生活においても、幅のある東京山の手の見えがくれする基層に出会うことがある。週末、公共交通ではなく自転車で移動するとしよう。どこへ行くのか、どことつながっているのか分からないような、何度も幹線道路に切断されてもしぶとくつながっていて、少し左右に触れながらいくつからの谷を乗り越えて延びていく道筋が、思わぬ目的地へ連れて行ってくれる。その途中の社叢の闇に引き込まれそうになったり、峠の茶屋ならぬ坂上のリノベ・カフェでコーヒーをテイクアウトしてみたり、戸建て住宅がきれいに立ち並ぶ街並みの先で突然風景を広げる畑に出会い、無人の即売所で新鮮な野菜を購入してみたり、川筋を気持ちよさそうに飛んでいく水鳥を追いかけて、おそらく武蔵野の水辺の原風景はこうであったに違いないと思うような池の水面にたどり着いてしまったり、商店街のはずれ、地域の文化度を反映しているのだとひそかに自慢している古書店の書棚を物色してみたり、結局、一人も二人もたくさんもそれぞれが開放された表情で居ついている横丁をその日の夕方早めのゴールとしてしまったり(自転車は後日回収することにしよう)。一人ひとりの日常という名の生活軸の豊かさは、自然軸、空間軸を、それぞれの場所として編集することによって生み出されている。東京山の手はミクロコスモスたちのパッチワーク的な多様性に加えて、パッチ同士のすき間やパッチ内の破れや解れがしっかりあって、それらが人々の都市への関わりしろとなり、編集の可能性を担保してくれている。ただしその編集の過程で見えがくれしているのは、都市の基層だけではない。
「人間とは、実は単に<見る>とか<使う>ということだけでなく、物的環境からある種の記憶を絶えず発見しようとしているのではないか」(槇文彦『記憶の形象 都市と建築との間で』、筑摩書房、1992年)
生活軸における都市の編集とは、その都市に生きてきた自分の記憶の編集でもある。自然軸、空間軸、生活軸が織りなす東京山の手で見えがくれしているのは、自分の記憶であり、人生である。さらに言えば、これまで都市を生きてきた人々の記憶も、同じように見えがくれしている。そして、それぞれの記憶は自然軸や空間軸を成す長期のタイムラインの中に置かれることで、地域の文化の一部として定着していく。都市は、未来に続く一人ひとりの人生のための記憶装置であると同時に、地域の文化の記憶装置である。東京山の手は特に優れた記憶のための道具として、多くの人生に寄り添ってくれている。

東京大学大学院, 工学系研究科都市工学専攻教授
中島 直人
1976年東京都生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院修士課程修了。博士(工学)。東京大学大学院助手、同助教、イェール大学客員研究員、慶應義塾大学専任講師、同准教授、東京大学大学院准教授を経て、2023年12月より現職。専門は都市計画。近年の著作に『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年、日本都市計画学会論文賞受賞/日本建築学会著作賞受賞)、『コンパクトシティのアーバニズム コンパクトなまちづくり、富山の経験』(共編著、東京大学出版会、2020年)、『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)『ニューヨークのパブリックスペースムーブメント 公共空間からの都市改革(編著、学芸出版社、2023年)。「人・運動・場所から編成する都市計画史に関する一連の研究」で2024年度日本建築学会賞(論文)を受賞。
Essey
見えがくれする、東京山の手の都市空間
東京大学大学院 工学系研究科都市工学専攻 教授
中島 直人
建築家・槇文彦氏の著作に『見えがくれする都市』(鹿島出版会、1980年)がある。槇と槇の事務所のスタッフであった3名との共著というかたちで出版された。東京という都市を対象に、歴史的に存在してきた都市の形態、その構造や要素を、地域社会特有の文化的集団意思の投影として見出していこうという試みである。タイトルにある「見えがくれ」は、槇によれば、「都市の形態の背後にある構造は必ずしも見えていないし、しかし全くみえていなくもない、それは絶えず見えがくれしている」ことを表している。現代の都市空間と歴史的に存在してきた都市の形態とは無縁ではない。かといって、都市の表層の変貌は激しく、一見ではその縁は見出しづらい。槇らは眼前の都市形態の背後にある下図を理解することを目指した。総論「都市を見る」に続けて、各論は「道の構図」、「微地形と場所性」、「まちの表層」、そして「奥の思想」と展開する。東京-日本独自の都市の形態を探究するということは、欧米の都市の形態との違いを意識するということでもある。全体を統べるシステムの卓越、建物内外や公私領域の明確な境界の設定、垂直性を誇示する中心の存在、それらに対して、東京、特に槇らがスタディの中心に据えた山の手において、局所的な解の陣取りとそれらの間のすき間、街路と建物との関係の多様性、表層を構成する薄い平面とすき間、そして水平性を強調し、見えざる深さに象徴性を宿す「奥」などが見出される。大事なことは、これらの議論は、欧米由来の近代都市計画原理への批判的視座をおのずから包含しているということである。歴史的に存在してきた都市の形態とは無関係に進行する都市化、場所の喪失に対抗する方法を見出すこと、それがインターナショナルに活躍する建築家でありつつ、東京山の手の生粋のアーバニストであった槇の動機であった。
この優れた都市論の出版から半世紀ほどがすでに経過した。出版後五十年近くの間も、バブル経済期の地上げと再開発、2000年代以降の経済政策としての規制緩和、住宅需要の都心回帰を前提とした都市再生プロジェクトが次々と実行され、東京は引き続き大きく変貌を遂げていった。たくさんの超高層ビルが建ち、街並みが垂直に延びた。かつての谷が丘に変わるほどの改変を経験した地域もある。しかし、それでもなお、東京山の手の歴史的な基層は見えがくれしている。都市は幾つかの軸とレイヤーで重層的に形成されている。地形や水系、植生が生み出す基盤としての自然軸、街路や街区、建物、空地などの施設や土地利用で構成される空間軸、人々の生活行為の集積が織りなす場所としての生活軸があり、それぞれに時代時代のレイヤーがある。自然と空間、生活の3つの軸は密接に絡み合って、一つの時代のレイヤーを成すが、ある時代のレイヤーは前の時代のレイヤーを覆い隠してしまうのではない。そもそも各時代のレイヤーはたくさんのすき間を持っているし、前の時代のレイヤーの起伏や文様の多くは次の時代のレイヤーにも写し取られる。だから、常に歴史的な基層は透かし見えている。見えがくれしている。
槇らが着目した東京山の手は、とりわけ自然軸において豊かな表情を持つ。山の手は台地が低地に接する際のことを指すが、東京山の手の場合は武蔵野台地の際ということになる。その最初の際は、現在のJR山手線が描く長円の西より半分にほぼ重なる地域で、小さな谷がいくつも入り込み窪地をつくり、複雑な様相を見せている。坂が谷上と谷下をつなぐ。窪地には湧水が見られる。ここに槇の指摘した「奥」性が宿る。ただし、こうした台地の際は一続きの崖線のような線状の突端ということでもない。そして武蔵野台地自体も平坦な一枚の台地ということでもない。現在の東京二十三区の周辺区あたりまで武蔵野台地は西に向かってゆっくりと標高を上げていき、神田川や善福寺川、石神井川などの江戸以来の都市の水源となる湧水地帯に到達する。そこには山の手と言ってよい崖や窪地が見られる。山の手=武蔵野台地の際は、このあたりまでの幅広の地域と見てよい。湧き出た表流水は、今度は低い方へ、つまり西から東に向かって、周囲の水を集めながら中小河川を成し、谷筋を台地の中に刻んでいく。特に小さな水路は周囲の市街化にともなってすでに暗渠化されてしまっているところが多いが、今もなお周囲より少しだけ低い、蛇行する道筋という微地形として姿を残す。東京山の手の都市空間の魅力は、こうした台地と中小河川が細やかに織りなす地形に帰するところが大きい。のちに生み出されることになる都市のなかの無数のミクロコスモスの多くは、都市が成立する以前に原地形によって予め規定されていたのである。
東京山の手にあたる地域のほとんどは、江戸時代までは朱引きの外、田園・農村地帯であった。そこには上記の地形を前提として、尾根をゆく幾つかの街道が田畑や叢林の間を抜けるように走り、集落、農家が点在していた。武蔵野台地上には江戸成立以前からの古道も数多く存在し、それらは江戸―東京の中心に向かう街道網とは別の、例えば鎌倉道のような多様な方向性を持っていた。近代に入ってから、東京は東から西へ徐々に市街地を拡張していったが、その山の手の拡大、都市化の過程もまた一様ではなかった。都市化以前の田園、農村地帯の基盤をそのまま都市骨格として市街化していった地域と、土地区画整理事業などによって面的な都市基盤を整備しながら市街化した地域とでは、立ち上がったまちの姿は大きく異なった。街路基盤の違いは建物の形態やその更新にも影響を与える。近代都市計画は、放射環状の幹線道路網およびラダー状の準幹線道路網によって台地に新たな分割をもたらし、ゾーニングによって時間をかけて地域ごとの建物の形態や用途の違いを生み出してきた。さらに高度経済成長期以降、防災性能の向上に加えて高度利用が期待された主要鉄道駅周辺の商業地を中心に、局所的な再開発事業によって街区は統合、再編され、建築は垂直方向に延びていった。以上の経緯を経て、東京山の手のパッチワーク的な構造が強化された。東京山の手は多様なアーバニズムのアリーナの様相を成している。
さて、そうした自然軸、空間軸の時間的重なりが生む東京山の手の豊かなパッチワーク的構造の中で、私たちは都市のもう一つの軸、最も大事な生活軸を生きている。鉄道を中心とする便利な公共交通を使って、山の手と都心との間を毎日往復する単調な生活においても、幅のある東京山の手の見えがくれする基層に出会うことがある。週末、公共交通ではなく自転車で移動するとしよう。どこへ行くのか、どことつながっているのか分からないような、何度も幹線道路に切断されてもしぶとくつながっていて、少し左右に触れながらいくつからの谷を乗り越えて延びていく道筋が、思わぬ目的地へ連れて行ってくれる。その途中の社叢の闇に引き込まれそうになったり、峠の茶屋ならぬ坂上のリノベ・カフェでコーヒーをテイクアウトしてみたり、戸建て住宅がきれいに立ち並ぶ街並みの先で突然風景を広げる畑に出会い、無人の即売所で新鮮な野菜を購入してみたり、川筋を気持ちよさそうに飛んでいく水鳥を追いかけて、おそらく武蔵野の水辺の原風景はこうであったに違いないと思うような池の水面にたどり着いてしまったり、商店街のはずれ、地域の文化度を反映しているのだとひそかに自慢している古書店の書棚を物色してみたり、結局、一人も二人もたくさんもそれぞれが開放された表情で居ついている横丁をその日の夕方早めのゴールとしてしまったり(自転車は後日回収することにしよう)。一人ひとりの日常という名の生活軸の豊かさは、自然軸、空間軸を、それぞれの場所として編集することによって生み出されている。東京山の手はミクロコスモスたちのパッチワーク的な多様性に加えて、パッチ同士のすき間やパッチ内の破れや解れがしっかりあって、それらが人々の都市への関わりしろとなり、編集の可能性を担保してくれている。ただしその編集の過程で見えがくれしているのは、都市の基層だけではない。
「人間とは、実は単に<見る>とか<使う>ということだけでなく、物的環境からある種の記憶を絶えず発見しようとしているのではないか」(槇文彦『記憶の形象 都市と建築との間で』、筑摩書房、1992年)
生活軸における都市の編集とは、その都市に生きてきた自分の記憶の編集でもある。自然軸、空間軸、生活軸が織りなす東京山の手で見えがくれしているのは、自分の記憶であり、人生である。さらに言えば、これまで都市を生きてきた人々の記憶も、同じように見えがくれしている。そして、それぞれの記憶は自然軸や空間軸を成す長期のタイムラインの中に置かれることで、地域の文化の一部として定着していく。都市は、未来に続く一人ひとりの人生のための記憶装置であると同時に、地域の文化の記憶装置である。東京山の手は特に優れた記憶のための道具として、多くの人生に寄り添ってくれている。

東京大学大学院, 工学系研究科都市工学専攻教授
中島 直人
1976年東京都生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院修士課程修了。博士(工学)。東京大学大学院助手、同助教、イェール大学客員研究員、慶應義塾大学専任講師、同准教授、東京大学大学院准教授を経て、2023年12月より現職。専門は都市計画。近年の著作に『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』(東京大学出版会、2018年、日本都市計画学会論文賞受賞/日本建築学会著作賞受賞)、『コンパクトシティのアーバニズム コンパクトなまちづくり、富山の経験』(共編著、東京大学出版会、2020年)、『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』(編著、ちくま新書、2021年)『ニューヨークのパブリックスペースムーブメント 公共空間からの都市改革(編著、学芸出版社、2023年)。「人・運動・場所から編成する都市計画史に関する一連の研究」で2024年度日本建築学会賞(論文)を受賞。
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