
Interview
多様であることは、なぜ大切なのか?森や畑の中で起こっていること
サントリーホールディングス株式会社
サステナビリティ経営推進本部 シニアアドバイザー
山田 健
1955年生まれ。78年東京大学文学部卒業。同年、サントリー宣伝部にコピーライターとして入社。ワイン、ウイスキーなどの広告コピーを手がけるとともに、サントリー「世界のワインカタログ」の編集長や、芸術財団が発行する音楽雑誌の編集長を兼任。2000年に現在の「天然水の森」につながるプロジェクトを企画し、後にコピーライターから転身して自ら山に入り、森と水を守る活動を牽引してきた。
著書に『水を守りに、森へ』(筑摩選書)、『オオカミがいないとなぜウサギが滅びるのか』(集英社インターナショナル)、『遺言状のオイシイ罠』(ハルキ文庫)、『ゴチソウ山』(角川春樹事務所)、ワインエッセー『今日からちょっとワイン通』(ちくま文庫)などがある。公益財団法人山階鳥類研究所理事、公益社団法人日本環境教育フォーラム理事、日本ペンクラブ会員。
小川敦子:山田さん、今日はお話を伺えることを楽しみしておりました。よろしくお願いします。
Aru Society Projectでは、多様な領域の人々がお互いを理解し合い、越境し合いながら、さまざまな方と共にこれまでの100年を見直し、これからの100年、1000年を見つめ、「Aru Society=共に在る、社会」に向かって歩みを進めていきたいと考えています。そして今年から、「淀川流域 百年の計を考える」というテーマのもと、少なくとも3年をかけて勉強会やツアーを重ね、どのように自然と都市、自然と人との関係を捉えていくのか、「人と流域の共構築」という視点からリサーチを試みようとしています。
2025年11月のツアーでは、山田さんたちサントリーホールディングス、サントリーパブリシティサービスとの共同ツアーコンテンツ「人と流域の共構築」サントリー山崎蒸溜所、天王山の森と水〜」を開催する運びとなりました。私自身、サントリーパブリシティサービスの田中省伍さんにご案内いただきながら、山崎蒸溜所のある天王山を歩いてみて、まさに「100年の計」に通じる覚悟のようなものをすごく感じたのですね。
今回も単にSDGsだとか、「ツアーに参加して楽しかった」という表層的なことではなくて、ここから私たちが何をできるのか、次世代の方にどうつないでいくのかも含めて考える場でありたいと思っています。今日は改めて、山田さんたちが「天然水の森」で自然と向き合いながら考えてこられたことについて、お話を聞かせていただければうれしく思います。

山田健(以下、山田):ありがとうございます。
ここ数年、社外のいろいろな方から「自分の会社でもSDGsに取り組みたいけれど、何をしていいか分からない」という相談を受けることがあります。そういう時、僕はよく「善意からの社会奉仕というような捉え方では難しいよ」という話をしています。SDGsは、ゴールがあまりにも幅広いので、何をやってもいいように思われがちだけど、それはあまり得策ではなくて、企業の利益と根本的に結びつかないような活動になってしまうと、なかなか会社として活動を持続させていくことが難しい。
そこでひとつの指標として、「自分たちの会社にとっての生命線とは何だろう?」という考え方から出発するとよいかもしれません。その生命線を守るための活動であれば、社内に対する説得力も増し、活動自体の持続可能性が出てくるし、企業としてのブランド価値の向上にも結びついていくのではないでしょうか。
サントリーの場合は、それがたまたま「水」だったということですね。
— 山田さんはなぜ、「地下水が自分たちの会社の生命線になる」という考えに至ったのでしょうか?
山田:僕はもともと広告の分野で、ウイスキーやワイン、美術館やサントリーホールなどの文化事業にかかわるコピーライティングや編集にずっと携わってきました。ところがウイスキーがとんと売れなくなった時期があって、このままだとコピーライターとして干されてしまうなと(笑)。そういった危機感もあり、ビールや清涼飲料についても勉強してみようと調べていくうちに、サントリーという会社が、ものすごく「地下水依存型」の工場をつくってきた歴史に気づかされました。
一般的な企業であれば、お酒や清涼飲料をつくる時に、物流のいいところに工場をつくります。原料の輸送に便利だし、できあがった製品の輸送にも便利なわけだから、それは当たり前のことですよね。水については、工業用水や水道水を買って、浄化して使えばいいのではないか?という発想になるし、現にそのような方法が一般的なのですが、サントリーの場合は最初のウイスキー蒸溜所を山崎につくった時に、良質な水を求めて全国のいろいろな場所を探して回ったんです。白州に第二の蒸溜所をつくった時にも水の探索をしていて、その結果、いい地下水に出会うことができた。それも表層の地下水ではなく、深層にある地下水です。深い地下水は汚染からのリスクも低いし、通年、水質が変わることがありません。これはすごく重要なことで、季節によって変動が大きいと、製品の味にも影響が出てしまいます。そうではなくて、ずっと水質が変わらない。美味しくて、安全で、量的にも地下水が豊富だという場所を選んで、サントリーは工場を建ててきたのです。
— 水の質が、製品の質にも結びついているのですね。
山田:サントリーがそんなに地下水に依存している会社だなんてことは、それまでちっとも知らなかった(笑)。もちろん水の安全性については、安全性科学センターが設置されて、守るための取り組みが進んでいました。けれど、そのさらに手前で、自分たちの工場の裏にある森が「水を涵養(かんよう)する力」を守ることも大切なのではないかと考えるようになりました。

山田:もうひとつ、原体験として、僕はある温泉地で育ったのですけれど、家のすぐそばを流れている川が昔は温泉だったんですね。だから江戸時代の絵を見ると、そこの河原で馬と人間がみんな一緒に湯浴みしている。そんな風情ゆたかな絵になるところだった。ところが、明治になって井戸を採掘する新技術が入ってくると、温泉井戸を掘ろうという人が現れて、川の湧き場のすぐ上流で湯を抜いてしまったんです。川の湧き場はあっけなく涸れてしまい、湯の河原は、ただの水の河原になってしまいました。
その後、競い合うようにどんどん上流の方に温泉井戸が掘られ、下流の方の井戸はさらに深くなっていきました。地下水というのは無限にあるものではありませんから、かつての温泉場に元湯はほとんどなくなり、谷の奥にある最上流の温泉からパイプで温泉を引かざるをえなくなっています。
「地上の権利を持っていれば、地下から好きに湯水を汲んでもいいというのは少し違うのではないか? それでいいのだろうか?」 当時、小学6年生にして郷土の事実を知った僕は、判然としない想いを抱いていました。
山田:うちの会社は基本的には、オーナー企業であり、かつ、熟成するお酒をつくってきた会社ですから、そういう意味では息が長いです。例えば、ウイスキーだって蒸留して美味しくなるまでに最低でも5年、ものによっては30年かかるものもあるわけです。ワインだったら葡萄の木を植えてから、日本ではそこまでにはならないですけど、ボルドーなんかでは最低でも植えてから30~40年くらいですね。そこから美味しくなってくる。そうやって美味しくなってきた葡萄がワインとして熟成を期待され、本当に美味しく飲めるようになるまでには、さらに10年の月日が掛かったりします。
そうすると我々は、数十年先を見据えてものづくりをすることになりますが、遠い先の未来でお客様が何を求めているのかなんて、誰にも分からない。だから何をするかと言うと、少なくとも今、最高のものをつくっておく。ながい熟成期間を経ても、歳月に負けない酒をつくっておく。特にウイスキーの場合は、樽に負けないウイスキーをつくることがすごく重要で、最初にポテンシャルの高いウイスキーをつくっておくと、樽の中に寝かしておいてもずっと美味しくなっていくんですね。
ところが最初のステップがそこそこの状態だと、ピークが5年だったりするわけです。そこから先は樽の香りに負けて渋くなったり辛くなったりするんです。そうすると商品価値が無くなって不良在庫になってしまう。これはすごく怖いことで、市場は波打ちますから、必ずどこかで売れなくなる。つまり在庫って、増える時は増えるんですね。でもそういう時に、これが在庫ではなく「財産」になる酒をつくっておく。そうしたら市場が縮小している時期は生産を抑え目にするけれども、過去のお酒がより良い酒に変わってくれている。そして、今つくっている酒も長く寝かしておくことによって良くなっていく。その「財産」が、次に市場が回復し始めた時に会社を支えてくれる。このような流れをつくれるかどうかが、企業としての持続可能性を左右します。
この酒の世界、特に熟成酒の世界ですね。ワインやウイスキーなどの熟成する酒をつくっている企業のオーナーというのは、そういう長い目を持っています。



森林整備に携わっている僕たちにとっても、最近の台風や自然災害は想定を超えたものになってきています。僕らは多様な生物たちの力を借りて「多様性に支えられることで環境のレジデンスは高まるのではないか」という方針のもとで整備に取り組んでいる。でも、そういうことがもはや限界なのかもしれない。想定外の激しさで雨が降るし、風が吹くし。それから、増え続ける鹿たちも、日本各地で下草や木々の苗を食い尽くして、森の未来を脅かす難敵になっています。
鹿の問題については、小さな自治体単位ではなく、県単位など、みんなで力を合わせて取り組む必要があり、例えば広域的なネットワークをつくって、狩猟チームとジビエカー、運搬用の冷蔵車、セントラルキッチンのような精肉場をつなぐ、鹿肉の一大流通網をつくれないかと構想したりしています。
山に入ると、「あ、人間が手を加えてやればまだまだこんなに良くなるんだ」というところもあれば、手が及ばないところもあります。それから鹿がいるために、例えば柵の外に、鹿が食べない植物ばかり生えているところもあります。例えば天王山でも、鹿が食べないナンキンハゼ等の外来種が増えているところもあるのですが、外来種であっても地表を何か植物が覆ってくれているということがすごく重要で、とりあえず今は、緊急避難的に彼らの力も借りざるを得ないという気もしています。
だから今回のツアーでも、天王山に足を運んでいただくみなさんに、必ずしも理想を見せることはできない。だけど、いろいろなリスクや問題がある中で、それに対して「今はここまでやっているけれども、将来はこういう風にやっていきたいよね」という話はできるかもしれない。
例えば、鹿が食べないようなものをということで、ここの場合は作業道ぞいにミツマタを植えているんです。森に作業道をつくっていて、我々は舗装をしないので、そうすると法面(のりめん)が崩れやすくなる。その崩れを防ぐためにも何かの植物を植える必要があって、ミツマタという紙の原料にもなる木を選びました。このミツマタが作業道にあるとトンネル状にきれいに花が咲いてくれるので、SNSを見ていると「サントリー・ミツマタロード」なんて呼ばれるハイキングのコースになったりして(笑)。もっともこれだって鹿が減ってくれたら、他の木に負けていなくなってしまうべきものなのかもしれない。いなくなる前に、地元の子どもたちに紙漉き体験をしてもらうのもいいかもしれませんね。

スギやヒノキのような単一の針葉樹だけでなく、山に広葉樹を増やすことで、実は有用な天然キノコなんかも増えて、場所によっては山菜もすごく増えてきます。それから薬草類も、山には意外とたくさんあるんですね。そういった、かつての副産物が増えてくると、また山の価値が変わってくる。
つまり、山の価値を材木の生産やCO2の吸収という見方だけで捉えるのではなくて、地下水の涵養ということももちろんそうだし、土砂や洪水の防止機能もそうだし、それともうひとつはダムのアオコ対策。土砂の流入などでダムが富栄養化してアオコが発生してしまうと、今度はそれを水道水として使うための処理費用がものすごくかかります。水道局のような機関がアオコ対策のために山の整備に予算を投じるなど、政策の転換のようなことが起こってもいいかもしれない。
これからますます激甚災害が増えていく中、その被害を少しでも軽減するために、みんな挙国一致で取り組みを進めていかなければならないし、そういうところにお金が入るような仕組みをつくっていくことが必要ではないかと考えます。ジビエカーが運ぶ鹿肉がお金になったり、副産物として森でいろいろなものが採れるようになったりしてくれたら、若い人たちが山に入るインセンティブにつながるかもしれません。
我々が山に入って森から学んできたことは、農産物にも活かせると考えています。サントリーという会社の生命線として第一のターゲットはたまたま「水」でしたが、次なるターゲットとして原料である農産物の持続可能性も見据えています。
すなわち、製品の原料になっているコーヒー豆や紅茶、小麦やトウモロコシ。それらの生産を持続可能なものにするためには、どのようなことが必要なのか。これまで「天然水の森」で繰り広げてきた、さまざまな調査や研究を活かせる領域だと考えています。
実は、自然界の植物は、ほぼすべてが自分の根では水もミネラルもあまり吸っていません。植物の根に共生している菌根菌にはさまざまな種類があって、例えばブナ科やマツ科だとキノコの菌と共生するんです。シメジやマツタケといった土の中から出てくるタイプのキノコですね。それと絵本に出てくるベニテングダケみたいな毒キノコ(笑)。でも、それらはほんの一部の新しいタイプの共生関係で、それよりももっと古いのはアーバスキュラー菌根というキノコをつくらないタイプのカビの仲間です。
この子たちと共生することによって、植物の方は光合成した栄養分を菌糸に与え、菌の方は細かな菌糸を張り巡らして木の根っこでは入れないような粘土鉱物の隙間にまで菌糸を伸ばして、そこから今度は酸を出して鉱物を溶かし、そのミネラルを宿主に与える、という共生関係になっているんですね。
つい数年前まではアーバスキュラー菌根を培養することができなかったため、この菌が何をやっているのかよく分からなかった。ところがコロナ禍、感染拡大防止に向けてPCR検査やゲノム解析が世界的に行われ、DNAの解析が大量かつ安価にできるようになりました。今、その余剰分を活かして、世界中でDNA関係の研究が飛躍的に進んでいるんです。
その結果、「アーバスキュラー菌根をなぜ培養できないのか?」ということも急速に明らかになりました。彼らは脂質を合成するサイクルをDNAとして持っていなかったのです。ということは糖分だけでなく脂質も木からもらわないと生きていけない。完全に依存している形の共生関係だったんです。それが分かったために培養が可能になったのですが、そうするとまた人間は、「じゃあその胞子を肥料として使えばいいじゃないか」というようなことを考え始めるわけですね。
でも、自然界の中で「誰と共生したいか」は、植物の方が決めたいわけです。植物にはその時々の危機感があって、「この暑さじゃ勘弁して欲しいからもっと水を吸いたい」という時にはそういうタイプの菌根菌を呼ぼうとします。ところが農業の世界では、「だったら他の菌根菌と入れ替われないようにすればいいじゃないか」と思うような人間が必ず出てきます。強い除草剤をまいて草を一切無くしてしまえばそれに宿る他の菌根菌も排除できる。その上で、特定の菌根菌と共生させた種を撒けば、肥料や水をほとんどやらなくても、いい作物ができるだろう、というような考え方ですね。もちろん1年目はできるでしょうけど、2年目もできるかどうかは全く別の話ですよね。
我々の目指すものが「持続可能性のある農業」ということだとすれば、大切なのは1種類の作物だけを植えるのではなく、多様な作物や、地表を被覆するカバープランツを一緒に植えることで、多様な菌根菌を共生させ、作物たちがその時々に欲しい菌根菌を呼び寄せることができるような環境をつくること。そのためには、肥料を過剰にやってはいけないとか、特に化学肥料はやってはいけないということがヒントとして分かってきています。化学肥料をやると、作物が、自分の根で肥料を吸収できるような気になるために、菌根菌を呼ばなくなってしまうのです。私たちサントリーとしては、自然の中にある生き物たちの共生関係を活かしながら、あるいは敬意を持ちながら、持続可能な農産物を原料に使っていきたい。そうすれば、もっとおいしい製品をつくることも出来るでしょうし、地球のためにも、きっといい未来が築けるのではないかと考えています。
土の中では、生き物同士の共生関係があって、大切な仕事をしてくれている。そういう共生があって初めて、森も畑も健康になっていくのではないかと思います。
興味深い話として、アーバスキュラー菌根にしても、キノコの菌根にしても、1種類の植物だけに依存しないことが多いんですね。マツタケはアカマツにしか宿りませんけれど、でも例えばホンシメジはマツとも、コナラやクヌギとも共生できる。そして、そういう連中というのは実は、それぞれ別の植物を地下でつないでいるんです。
例えば、マツとコナラ。冬の間はマツの方が光合成の力が強いため、マツからコナラの方に栄養分が行く。そして夏には反対に、コナラからマツに栄養が流れる。もしかするとそれは、栄養をあげているわけじゃなくて、相手側の植物が引っ張っているだけかもしれないのですが、でもそういった助け合いが、もしかしたら多様性にとってもすごく重要なことなのかもしれない。
よく常緑樹が鬱蒼と茂った真っ暗な森の中で、光量が少ないにも関わらず常緑樹の子どもが育つことがあります。それってどうしてだろうと長年の疑問だったのですが、どうも菌根菌を介して子どもがちゃんと親木から引っ張っている、栄養をもらっているんじゃないか。だから光合成もできないような真っ暗な中でも、平気で育っているのではないかと、最近の研究者たちは考え始めているんです。

僕は以前、苗木をつくる時においしいキノコの菌を植え付けて、それを山に戻して、そうしたらリアル「きのこの山」ができるのではないかと東京農大と研究をしたことがあります(笑)。でも残念ながらそういう苗を山に植えても、狙ったキノコよりももっといいキノコ菌がいると、そちらを呼び寄せて入れ替わってしまうんです。リクルートする権利は木の方にあるみたいで、やっぱりそうやって入れ替わりが起きる。
「呼び寄せるシグナルというものが何なのか」ということも徐々に分かり始めています。それは恐らく、香りの成分。地下のことはまだそれほど分かっていないのですが、地上でのメッセージをやり取りする香りは1種類に留まらず恐らく10種類か、あるいはそれ以上かもしれない。それらの香りの成分をブレンドさせることで、呼ぶ相手を変えているようなのです。
例えば虫に食われた時に、その虫を食べるテントウムシを呼んだり、小鳥を呼んだり。そういうことにどうやら香りを使っているようだ、ということが分かってきています。だから、とても豊かなコミュニケーションが森の中で行われている。すごく面白いですよね。
地下の微生物たちも本当に複雑な関係を築いています。だから、単一のヒノキで密生林をつくってしまうことは、そういう複雑な生態系を破壊することになる。昔はヒノキの森に他の木がいたら、ヒノキの成長が悪くなるだろうと思われていたようですが、どうもそんな風には見えない。地面に他の植物が生えている方が、ヒノキ自体も成長が良くなるように見えます。
だから、「多様」であることが自然界ではとても大切で、それは何億年もかけてつくってきた共生関係ですから、それを壊してしまうというのはやはり、あまりいい作戦ではないと思います。
先ほどの農業の話に戻ると、実は化学肥料をあげると植物は自分の根で全部吸えるような気分になるんですね。だから窒素・リン酸・カリがあれば、とりあえずは他の微量なミネラルがなくても育ってしまう。
そうすると、菌根菌を呼ばなくなっちゃうんです。つまり植物の方からメッセージを出さなくなるため、菌根菌との共生関係が切れてしまう。農業の世界で、長年の間、菌根菌との共生の研究が進まなかったのはなぜかと言うと、化学肥料を使う慣行農業では、共生関係がそもそもないんです。だから研究が進まなかった。
でも今ここに来て、もう1度、化学肥料を使わない農法が広まりつつあります。そして、肥料を何もやっていない農法で菌根菌との共生関係が出来上がると、その土地本来の味が出てくる。よくワインでは「テロワール」という風に言いますが、これは野菜でも同じことだと思います。
その土地の鉱物を誰かが溶かさなければ、植物は吸えないですよね。それを溶かしてその土地ならではの味わいをつくり、土と植物の間をつなぐ役目を担ってくれているのが、実は菌根菌や微生物たちだったのです。
僕がワインを始めた頃は、ちょうどまだ化学肥料がかなり残っていた時代でした。ブルゴーニュなどの造り手たちは、「爺さんの時代の酒はあんなに美味しかったのに、どうして親父の酒はこんなものなんだ?」ということで、「祖父の時代に帰れ」を合言葉にして、化学肥料からの脱却を図っていきました。それが今、我々が味わえるワインの美味しさにつながっています。
日本の野菜も、みんな化学肥料が使われている。だから「昔のに比べて味がない」なんて言われるけど、味だけじゃなくて大切な栄養成分も少ない。大地の恵みと自然との共生を活かしたような野菜なら、同じホウレンソウでも、土地ごとに違う美味しさになるでしょうし、もしかすると、収穫量は多少減るかもしれませんが、栄養成分が多くなれば、そんなにたくさん食べなくてもいいのかもしれない。今は、生活全般が、自然の摂理から離れ過ぎてしまったように感じます。
僕もこれから、実家の近くにある50坪くらいの畑を使って自然栽培をやろうかなと思っているんですけど、「コンパニオン・プランツ」と言われるように、相性がいい野菜たちをうまく組み合わせて、多様性と共生によって美味しくて個性的な味わいの野菜づくりにチャレンジしてみたいと考えています。

実は、地下にいる微生物たちの働きは、山崎蒸溜所でのウイスキー造りとも結びついているようなのです。この天王山で我々が汲み上げているウイスキーをつくるためのマザーウォーターというのが、どうやら思ったよりも多少短い期間で出てきているように見えるんですね。でもその割には、水の硬度が高い。
「どうしてだろう?」ということで、これから本格的な調査に入るのですが、恐らく土壌の中にいる微生物たちがミネラルをいろいろ溶かしてくれていて、この土地が持っている個性を伝えてくれている。そのミネラルをいただいて、我々はこのウイスキーの味わいをつくっている。森の生き物たちが、ウイスキーの味わいにとてもうれしい影響を及ぼしてくれている。そういうことも調査や科学的な解析が進むことで、徐々に分かりつつあるんです。
淀川流域は、京野菜も含めて、ポテンシャルがすごくある場所ですよね。山に学んだ生き物たちの共生関係が、流域の地産地消やテロワールをつなぐために活かされることで、さらに美味しくて、その土地ならではのかけがえのない味わいというものが生まれてくるのではないか。
そんなことを思いながら、山や畑を見てみると、一面に同じ木や野菜が植えられている風景と、そうではない風景の、どちらがきれいに見えてくるでしょうか?
多様な生き物たちの共生に学ぶことで、自然に対する美的な見方が変わってくるかもしれません。
僕は山に行くと小さな花がとてもかわいい。こんな小さな花が、よくよく見るとすごく美しいデザインになっていたりする。
芭蕉に「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」という句がありますが、そのような自然に対する感性みたいなものが変わってくることで食生活が変わったり、より健やかな生活が営まれたりするようになっていくのかもしれません。
— この100年間で自然とともに失われてしまったものはあまりにも多く。私たちはもう一度、自然と向き合う感性を養うところから始める必要があるのかもしれません。「天然水の森」の活動や、地中の微生物たちとテロワールとのつながり、植物が発するメッセージの話など、興味が尽きないお話の数々でした。本日は、ありがとうございました。
取材・編集 久岡 崇裕(株式会社parks代表/コピーライター)
Interview

多様であることは、なぜ大切なのか?森や畑の中で起こっていること
サントリーホールディングス株式会社
サステナビリティ経営推進本部 シニアアドバイザー
山田 健
1955年生まれ。78年東京大学文学部卒業。同年、サントリー宣伝部にコピーライターとして入社。ワイン、ウイスキーなどの広告コピーを手がけるとともに、サントリー「世界のワインカタログ」の編集長や、芸術財団が発行する音楽雑誌の編集長を兼任。2000年に現在の「天然水の森」につながるプロジェクトを企画し、後にコピーライターから転身して自ら山に入り、森と水を守る活動を牽引してきた。
著書に『水を守りに、森へ』(筑摩選書)、『オオカミがいないとなぜウサギが滅びるのか』(集英社インターナショナル)、『遺言状のオイシイ罠』(ハルキ文庫)、『ゴチソウ山』(角川春樹事務所)、ワインエッセー『今日からちょっとワイン通』(ちくま文庫)などがある。公益財団法人山階鳥類研究所理事、公益社団法人日本環境教育フォーラム理事、日本ペンクラブ会員。
小川敦子:山田さん、今日はお話を伺えることを楽しみしておりました。よろしくお願いします。
Aru Society Projectでは、多様な領域の人々がお互いを理解し合い、越境し合いながら、さまざまな方と共にこれまでの100年を見直し、これからの100年、1000年を見つめ、「Aru Society=共に在る、社会」に向かって歩みを進めていきたいと考えています。そして今年から、「淀川流域 百年の計を考える」というテーマのもと、少なくとも3年をかけて勉強会やツアーを重ね、どのように自然と都市、自然と人との関係を捉えていくのか、「人と流域の共構築」という視点からリサーチを試みようとしています。
2025年11月のツアーでは、山田さんたちサントリーホールディングス、サントリーパブリシティサービスとの共同ツアーコンテンツ「人と流域の共構築」サントリー山崎蒸溜所、天王山の森と水〜」を開催する運びとなりました。私自身、サントリーパブリシティサービスの田中省伍さんにご案内いただきながら、山崎蒸溜所のある天王山を歩いてみて、まさに「100年の計」に通じる覚悟のようなものをすごく感じたのですね。
今回も単にSDGsだとか、「ツアーに参加して楽しかった」という表層的なことではなくて、ここから私たちが何をできるのか、次世代の方にどうつないでいくのかも含めて考える場でありたいと思っています。今日は改めて、山田さんたちが「天然水の森」で自然と向き合いながら考えてこられたことについて、お話を聞かせていただければうれしく思います。

山田健(以下、山田):ありがとうございます。
ここ数年、社外のいろいろな方から「自分の会社でもSDGsに取り組みたいけれど、何をしていいか分からない」という相談を受けることがあります。そういう時、僕はよく「善意からの社会奉仕というような捉え方では難しいよ」という話をしています。SDGsは、ゴールがあまりにも幅広いので、何をやってもいいように思われがちだけど、それはあまり得策ではなくて、企業の利益と根本的に結びつかないような活動になってしまうと、なかなか会社として活動を持続させていくことが難しい。
そこでひとつの指標として、「自分たちの会社にとっての生命線とは何だろう?」という考え方から出発するとよいかもしれません。その生命線を守るための活動であれば、社内に対する説得力も増し、活動自体の持続可能性が出てくるし、企業としてのブランド価値の向上にも結びついていくのではないでしょうか。
サントリーの場合は、それがたまたま「水」だったということですね。
— 山田さんはなぜ、「地下水が自分たちの会社の生命線になる」という考えに至ったのでしょうか?
山田:僕はもともと広告の分野で、ウイスキーやワイン、美術館やサントリーホールなどの文化事業にかかわるコピーライティングや編集にずっと携わってきました。ところがウイスキーがとんと売れなくなった時期があって、このままだとコピーライターとして干されてしまうなと(笑)。そういった危機感もあり、ビールや清涼飲料についても勉強してみようと調べていくうちに、サントリーという会社が、ものすごく「地下水依存型」の工場をつくってきた歴史に気づかされました。
一般的な企業であれば、お酒や清涼飲料をつくる時に、物流のいいところに工場をつくります。原料の輸送に便利だし、できあがった製品の輸送にも便利なわけだから、それは当たり前のことですよね。水については、工業用水や水道水を買って、浄化して使えばいいのではないか?という発想になるし、現にそのような方法が一般的なのですが、サントリーの場合は最初のウイスキー蒸溜所を山崎につくった時に、良質な水を求めて全国のいろいろな場所を探して回ったんです。白州に第二の蒸溜所をつくった時にも水の探索をしていて、その結果、いい地下水に出会うことができた。それも表層の地下水ではなく、深層にある地下水です。深い地下水は汚染からのリスクも低いし、通年、水質が変わることがありません。これはすごく重要なことで、季節によって変動が大きいと、製品の味にも影響が出てしまいます。そうではなくて、ずっと水質が変わらない。美味しくて、安全で、量的にも地下水が豊富だという場所を選んで、サントリーは工場を建ててきたのです。
— 水の質が、製品の質にも結びついているのですね。
山田:サントリーがそんなに地下水に依存している会社だなんてことは、それまでちっとも知らなかった(笑)。もちろん水の安全性については、安全性科学センターが設置されて、守るための取り組みが進んでいました。けれど、そのさらに手前で、自分たちの工場の裏にある森が「水を涵養(かんよう)する力」を守ることも大切なのではないかと考えるようになりました。

© DYNAMIC EQUILIBRIUM OF LIFE / EXPO2025

山田:もうひとつ、原体験として、僕はある温泉地で育ったのですけれど、家のすぐそばを流れている川が昔は温泉だったんですね。だから江戸時代の絵を見ると、そこの河原で馬と人間がみんな一緒に湯浴みしている。そんな風情ゆたかな絵になるところだった。ところが、明治になって井戸を採掘する新技術が入ってくると、温泉井戸を掘ろうという人が現れて、川の湧き場のすぐ上流で湯を抜いてしまったんです。川の湧き場はあっけなく涸れてしまい、湯の河原は、ただの水の河原になってしまいました。
その後、競い合うようにどんどん上流の方に温泉井戸が掘られ、下流の方の井戸はさらに深くなっていきました。地下水というのは無限にあるものではありませんから、かつての温泉場に元湯はほとんどなくなり、谷の奥にある最上流の温泉からパイプで温泉を引かざるをえなくなっています。
「地上の権利を持っていれば、地下から好きに湯水を汲んでもいいというのは少し違うのではないか? それでいいのだろうか?」 当時、小学6年生にして郷土の事実を知った僕は、判然としない想いを抱いていました。
山田:うちの会社は基本的には、オーナー企業であり、かつ、熟成するお酒をつくってきた会社ですから、そういう意味では息が長いです。例えば、ウイスキーだって蒸留して美味しくなるまでに最低でも5年、ものによっては30年かかるものもあるわけです。ワインだったら葡萄の木を植えてから、日本ではそこまでにはならないですけど、ボルドーなんかでは最低でも植えてから30~40年くらいですね。そこから美味しくなってくる。そうやって美味しくなってきた葡萄がワインとして熟成を期待され、本当に美味しく飲めるようになるまでには、さらに10年の月日が掛かったりします。
そうすると我々は、数十年先を見据えてものづくりをすることになりますが、遠い先の未来でお客様が何を求めているのかなんて、誰にも分からない。だから何をするかと言うと、少なくとも今、最高のものをつくっておく。ながい熟成期間を経ても、歳月に負けない酒をつくっておく。特にウイスキーの場合は、樽に負けないウイスキーをつくることがすごく重要で、最初にポテンシャルの高いウイスキーをつくっておくと、樽の中に寝かしておいてもずっと美味しくなっていくんですね。
ところが最初のステップがそこそこの状態だと、ピークが5年だったりするわけです。そこから先は樽の香りに負けて渋くなったり辛くなったりするんです。そうすると商品価値が無くなって不良在庫になってしまう。これはすごく怖いことで、市場は波打ちますから、必ずどこかで売れなくなる。つまり在庫って、増える時は増えるんですね。でもそういう時に、これが在庫ではなく「財産」になる酒をつくっておく。そうしたら市場が縮小している時期は生産を抑え目にするけれども、過去のお酒がより良い酒に変わってくれている。そして、今つくっている酒も長く寝かしておくことによって良くなっていく。その「財産」が、次に市場が回復し始めた時に会社を支えてくれる。このような流れをつくれるかどうかが、企業としての持続可能性を左右します。
この酒の世界、特に熟成酒の世界ですね。ワインやウイスキーなどの熟成する酒をつくっている企業のオーナーというのは、そういう長い目を持っています。


森林整備に携わっている僕たちにとっても、最近の台風や自然災害は想定を超えたものになってきています。僕らは多様な生物たちの力を借りて「多様性に支えられることで環境のレジデンスは高まるのではないか」という方針のもとで整備に取り組んでいる。でも、そういうことがもはや限界なのかもしれない。想定外の激しさで雨が降るし、風が吹くし。それから、増え続ける鹿たちも、日本各地で下草や木々の苗を食い尽くして、森の未来を脅かす難敵になっています。
鹿の問題については、小さな自治体単位ではなく、県単位など、みんなで力を合わせて取り組む必要があり、例えば広域的なネットワークをつくって、狩猟チームとジビエカー、運搬用の冷蔵車、セントラルキッチンのような精肉場をつなぐ、鹿肉の一大流通網をつくれないかと構想したりしています。
山に入ると、「あ、人間が手を加えてやればまだまだこんなに良くなるんだ」というところもあれば、手が及ばないところもあります。それから鹿がいるために、例えば柵の外に、鹿が食べない植物ばかり生えているところもあります。例えば天王山でも、鹿が食べないナンキンハゼ等の外来種が増えているところもあるのですが、外来種であっても地表を何か植物が覆ってくれているということがすごく重要で、とりあえず今は、緊急避難的に彼らの力も借りざるを得ないという気もしています。
だから今回のツアーでも、天王山に足を運んでいただくみなさんに、必ずしも理想を見せることはできない。だけど、いろいろなリスクや問題がある中で、それに対して「今はここまでやっているけれども、将来はこういう風にやっていきたいよね」という話はできるかもしれない。
例えば、鹿が食べないようなものをということで、ここの場合は作業道ぞいにミツマタを植えているんです。森に作業道をつくっていて、我々は舗装をしないので、そうすると法面(のりめん)が崩れやすくなる。その崩れを防ぐためにも何かの植物を植える必要があって、ミツマタという紙の原料にもなる木を選びました。このミツマタが作業道にあるとトンネル状にきれいに花が咲いてくれるので、SNSを見ていると「サントリー・ミツマタロード」なんて呼ばれるハイキングのコースになったりして(笑)。もっともこれだって鹿が減ってくれたら、他の木に負けていなくなってしまうべきものなのかもしれない。いなくなる前に、地元の子どもたちに紙漉き体験をしてもらうのもいいかもしれませんね。

スギやヒノキのような単一の針葉樹だけでなく、山に広葉樹を増やすことで、実は有用な天然キノコなんかも増えて、場所によっては山菜もすごく増えてきます。それから薬草類も、山には意外とたくさんあるんですね。そういった、かつての副産物が増えてくると、また山の価値が変わってくる。
つまり、山の価値を材木の生産やCO2の吸収という見方だけで捉えるのではなくて、地下水の涵養ということももちろんそうだし、土砂や洪水の防止機能もそうだし、それともうひとつはダムのアオコ対策。土砂の流入などでダムが富栄養化してアオコが発生してしまうと、今度はそれを水道水として使うための処理費用がものすごくかかります。水道局のような機関がアオコ対策のために山の整備に予算を投じるなど、政策の転換のようなことが起こってもいいかもしれない。
これからますます激甚災害が増えていく中、その被害を少しでも軽減するために、みんな挙国一致で取り組みを進めていかなければならないし、そういうところにお金が入るような仕組みをつくっていくことが必要ではないかと考えます。ジビエカーが運ぶ鹿肉がお金になったり、副産物として森でいろいろなものが採れるようになったりしてくれたら、若い人たちが山に入るインセンティブにつながるかもしれません。
我々が山に入って森から学んできたことは、農産物にも活かせると考えています。サントリーという会社の生命線として第一のターゲットはたまたま「水」でしたが、次なるターゲットとして原料である農産物の持続可能性も見据えています。
すなわち、製品の原料になっているコーヒー豆や紅茶、小麦やトウモロコシ。それらの生産を持続可能なものにするためには、どのようなことが必要なのか。これまで「天然水の森」で繰り広げてきた、さまざまな調査や研究を活かせる領域だと考えています。
実は、自然界の植物は、ほぼすべてが自分の根では水もミネラルもあまり吸っていません。植物の根に共生している菌根菌にはさまざまな種類があって、例えばブナ科やマツ科だとキノコの菌と共生するんです。シメジやマツタケといった土の中から出てくるタイプのキノコですね。それと絵本に出てくるベニテングダケみたいな毒キノコ(笑)。でも、それらはほんの一部の新しいタイプの共生関係で、それよりももっと古いのはアーバスキュラー菌根というキノコをつくらないタイプのカビの仲間です。
この子たちと共生することによって、植物の方は光合成した栄養分を菌糸に与え、菌の方は細かな菌糸を張り巡らして木の根っこでは入れないような粘土鉱物の隙間にまで菌糸を伸ばして、そこから今度は酸を出して鉱物を溶かし、そのミネラルを宿主に与える、という共生関係になっているんですね。
つい数年前まではアーバスキュラー菌根を培養することができなかったため、この菌が何をやっているのかよく分からなかった。ところがコロナ禍、感染拡大防止に向けてPCR検査やゲノム解析が世界的に行われ、DNAの解析が大量かつ安価にできるようになりました。今、その余剰分を活かして、世界中でDNA関係の研究が飛躍的に進んでいるんです。
その結果、「アーバスキュラー菌根をなぜ培養できないのか?」ということも急速に明らかになりました。彼らは脂質を合成するサイクルをDNAとして持っていなかったのです。ということは糖分だけでなく脂質も木からもらわないと生きていけない。完全に依存している形の共生関係だったんです。それが分かったために培養が可能になったのですが、そうするとまた人間は、「じゃあその胞子を肥料として使えばいいじゃないか」というようなことを考え始めるわけですね。
でも、自然界の中で「誰と共生したいか」は、植物の方が決めたいわけです。植物にはその時々の危機感があって、「この暑さじゃ勘弁して欲しいからもっと水を吸いたい」という時にはそういうタイプの菌根菌を呼ぼうとします。ところが農業の世界では、「だったら他の菌根菌と入れ替われないようにすればいいじゃないか」と思うような人間が必ず出てきます。強い除草剤をまいて草を一切無くしてしまえばそれに宿る他の菌根菌も排除できる。その上で、特定の菌根菌と共生させた種を撒けば、肥料や水をほとんどやらなくても、いい作物ができるだろう、というような考え方ですね。もちろん1年目はできるでしょうけど、2年目もできるかどうかは全く別の話ですよね。
我々の目指すものが「持続可能性のある農業」ということだとすれば、大切なのは1種類の作物だけを植えるのではなく、多様な作物や、地表を被覆するカバープランツを一緒に植えることで、多様な菌根菌を共生させ、作物たちがその時々に欲しい菌根菌を呼び寄せることができるような環境をつくること。そのためには、肥料を過剰にやってはいけないとか、特に化学肥料はやってはいけないということがヒントとして分かってきています。化学肥料をやると、作物が、自分の根で肥料を吸収できるような気になるために、菌根菌を呼ばなくなってしまうのです。私たちサントリーとしては、自然の中にある生き物たちの共生関係を活かしながら、あるいは敬意を持ちながら、持続可能な農産物を原料に使っていきたい。そうすれば、もっとおいしい製品をつくることも出来るでしょうし、地球のためにも、きっといい未来が築けるのではないかと考えています。
土の中では、生き物同士の共生関係があって、大切な仕事をしてくれている。そういう共生があって初めて、森も畑も健康になっていくのではないかと思います。
興味深い話として、アーバスキュラー菌根にしても、キノコの菌根にしても、1種類の植物だけに依存しないことが多いんですね。マツタケはアカマツにしか宿りませんけれど、でも例えばホンシメジはマツとも、コナラやクヌギとも共生できる。そして、そういう連中というのは実は、それぞれ別の植物を地下でつないでいるんです。
例えば、マツとコナラ。冬の間はマツの方が光合成の力が強いため、マツからコナラの方に栄養分が行く。そして夏には反対に、コナラからマツに栄養が流れる。もしかするとそれは、栄養をあげているわけじゃなくて、相手側の植物が引っ張っているだけかもしれないのですが、でもそういった助け合いが、もしかしたら多様性にとってもすごく重要なことなのかもしれない。
よく常緑樹が鬱蒼と茂った真っ暗な森の中で、光量が少ないにも関わらず常緑樹の子どもが育つことがあります。それってどうしてだろうと長年の疑問だったのですが、どうも菌根菌を介して子どもがちゃんと親木から引っ張っている、栄養をもらっているんじゃないか。だから光合成もできないような真っ暗な中でも、平気で育っているのではないかと、最近の研究者たちは考え始めているんです。

僕は以前、苗木をつくる時においしいキノコの菌を植え付けて、それを山に戻して、そうしたらリアル「きのこの山」ができるのではないかと東京農大と研究をしたことがあります(笑)。でも残念ながらそういう苗を山に植えても、狙ったキノコよりももっといいキノコ菌がいると、そちらを呼び寄せて入れ替わってしまうんです。リクルートする権利は木の方にあるみたいで、やっぱりそうやって入れ替わりが起きる。
「呼び寄せるシグナルというものが何なのか」ということも徐々に分かり始めています。それは恐らく、香りの成分。地下のことはまだそれほど分かっていないのですが、地上でのメッセージをやり取りする香りは1種類に留まらず恐らく10種類か、あるいはそれ以上かもしれない。それらの香りの成分をブレンドさせることで、呼ぶ相手を変えているようなのです。
例えば虫に食われた時に、その虫を食べるテントウムシを呼んだり、小鳥を呼んだり。そういうことにどうやら香りを使っているようだ、ということが分かってきています。だから、とても豊かなコミュニケーションが森の中で行われている。すごく面白いですよね。
地下の微生物たちも本当に複雑な関係を築いています。だから、単一のヒノキで密生林をつくってしまうことは、そういう複雑な生態系を破壊することになる。昔はヒノキの森に他の木がいたら、ヒノキの成長が悪くなるだろうと思われていたようですが、どうもそんな風には見えない。地面に他の植物が生えている方が、ヒノキ自体も成長が良くなるように見えます。
だから、「多様」であることが自然界ではとても大切で、それは何億年もかけてつくってきた共生関係ですから、それを壊してしまうというのはやはり、あまりいい作戦ではないと思います。
先ほどの農業の話に戻ると、実は化学肥料をあげると植物は自分の根で全部吸えるような気分になるんですね。だから窒素・リン酸・カリがあれば、とりあえずは他の微量なミネラルがなくても育ってしまう。
そうすると、菌根菌を呼ばなくなっちゃうんです。つまり植物の方からメッセージを出さなくなるため、菌根菌との共生関係が切れてしまう。農業の世界で、長年の間、菌根菌との共生の研究が進まなかったのはなぜかと言うと、化学肥料を使う慣行農業では、共生関係がそもそもないんです。だから研究が進まなかった。
でも今ここに来て、もう1度、化学肥料を使わない農法が広まりつつあります。そして、肥料を何もやっていない農法で菌根菌との共生関係が出来上がると、その土地本来の味が出てくる。よくワインでは「テロワール」という風に言いますが、これは野菜でも同じことだと思います。
その土地の鉱物を誰かが溶かさなければ、植物は吸えないですよね。それを溶かしてその土地ならではの味わいをつくり、土と植物の間をつなぐ役目を担ってくれているのが、実は菌根菌や微生物たちだったのです。
僕がワインを始めた頃は、ちょうどまだ化学肥料がかなり残っていた時代でした。ブルゴーニュなどの造り手たちは、「爺さんの時代の酒はあんなに美味しかったのに、どうして親父の酒はこんなものなんだ?」ということで、「祖父の時代に帰れ」を合言葉にして、化学肥料からの脱却を図っていきました。それが今、我々が味わえるワインの美味しさにつながっています。
日本の野菜も、みんな化学肥料が使われている。だから「昔のに比べて味がない」なんて言われるけど、味だけじゃなくて大切な栄養成分も少ない。大地の恵みと自然との共生を活かしたような野菜なら、同じホウレンソウでも、土地ごとに違う美味しさになるでしょうし、もしかすると、収穫量は多少減るかもしれませんが、栄養成分が多くなれば、そんなにたくさん食べなくてもいいのかもしれない。今は、生活全般が、自然の摂理から離れ過ぎてしまったように感じます。
僕もこれから、実家の近くにある50坪くらいの畑を使って自然栽培をやろうかなと思っているんですけど、「コンパニオン・プランツ」と言われるように、相性がいい野菜たちをうまく組み合わせて、多様性と共生によって美味しくて個性的な味わいの野菜づくりにチャレンジしてみたいと考えています。

実は、地下にいる微生物たちの働きは、山崎蒸溜所でのウイスキー造りとも結びついているようなのです。この天王山で我々が汲み上げているウイスキーをつくるためのマザーウォーターというのが、どうやら思ったよりも多少短い期間で出てきているように見えるんですね。でもその割には、水の硬度が高い。
「どうしてだろう?」ということで、これから本格的な調査に入るのですが、恐らく土壌の中にいる微生物たちがミネラルをいろいろ溶かしてくれていて、この土地が持っている個性を伝えてくれている。そのミネラルをいただいて、我々はこのウイスキーの味わいをつくっている。森の生き物たちが、ウイスキーの味わいにとてもうれしい影響を及ぼしてくれている。そういうことも調査や科学的な解析が進むことで、徐々に分かりつつあるんです。
淀川流域は、京野菜も含めて、ポテンシャルがすごくある場所ですよね。山に学んだ生き物たちの共生関係が、流域の地産地消やテロワールをつなぐために活かされることで、さらに美味しくて、その土地ならではのかけがえのない味わいというものが生まれてくるのではないか。
そんなことを思いながら、山や畑を見てみると、一面に同じ木や野菜が植えられている風景と、そうではない風景の、どちらがきれいに見えてくるでしょうか?
多様な生き物たちの共生に学ぶことで、自然に対する美的な見方が変わってくるかもしれません。
僕は山に行くと小さな花がとてもかわいい。こんな小さな花が、よくよく見るとすごく美しいデザインになっていたりする。
芭蕉に「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」という句がありますが、そのような自然に対する感性みたいなものが変わってくることで食生活が変わったり、より健やかな生活が営まれたりするようになっていくのかもしれません。
— この100年間で自然とともに失われてしまったものはあまりにも多く。私たちはもう一度、自然と向き合う感性を養うところから始める必要があるのかもしれません。「天然水の森」の活動や、地中の微生物たちとテロワールとのつながり、植物が発するメッセージの話など、興味が尽きないお話の数々でした。本日は、ありがとうございました。
取材・編集 久岡 崇裕(株式会社parks代表/コピーライター)
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