Essey
送り火への目線
京都新聞社 澤田亮英
お盆の8月16日。日が暮れてしばらくすると、京都市内にいる多くの人は、比叡山の南に連なる大文字山へ目を向ける。ある人は心静かに先祖を思い、ある人はショーの幕開けのように心を弾ませ、「大」の送り火が浮かび上がるのを待つ。
その大文字山では、弘法大師をまつる小さなお堂の前に地元の保存会役員らが集まり、読経が始まる。日中の猛暑を忘れさせるような涼しい風が吹き抜け、背筋が伸びる。準備を終えて一息ついていたのどかな雰囲気は消え、じわりと緊張感が増してくる。
迎えた8時。役員の一人が大きなたいまつを掲げ、号令をかける。75カ所の「火床」(ひどこ)に次々と火が入り、「金尾(かなわ)」と呼ぶ中心は、近づくのも危険なほど大きな炎が上がる。
すべての火床が順調に燃えているのを見届けて、ある役員は満面の笑顔をみせた。「だれにも文句言わせへんぞ」。山のふもとから見つめる人たちに向けて、美しい「大」を描けたとの誇りがにじんだ。
三方を山に囲まれた京都のまちそのものを舞台装置にする五山送り火は、東山の大文字から西へ妙法、舟形、左大文字を経て、鳥居形の順に点火される。全体で1時間もない短い本番のために、それぞれの山では1年を通して準備を重ねている。
起源には諸説あり、地域ごとに異なる宗教性を帯びる。何百年と続いてきた背景には、里山に人が入り、その恵みを享受できた環境がある。
そのサイクルに、ひずみが目立つようになってきた。
いきおいよく燃やすためにはアカマツが欠かせない。ところが、里山の荒廃や植生の変化で確保が難しくなり、地元の山では十分な量が手に入らなくなっている。企業が所有する京都郊外の山で確保したり、保存会の役員が個人のつてで市内の林業関係者に頼んだりと綱渡りが続いており、鳥居形の保存会は「あと3年で枯渇する」と危機感を募らせる。左大文字や妙法では、自ら植林に動きだした。
こうした苦境は、なかなか市民や観光客に伝わらない。続いて当然という感覚で、年1回の送り火を眺める人たちの目線と、10年、100年先の行事の継続を見据える保存会の目線はすれ違い、同じ方を向いていない。
保存会の人たちの苦労を美談として聞き流していては、近いうちに送り火が途絶えかねない。森と共生してきた送り火の担い手と目線を合わせて、支える手だてはないものだろうか。
その問いに向き合うことで見えてくるのは、単に送り火の継続にとどまらない。鞍馬の火祭をはじめ京都の多くの祭礼は森と深く結びついている。社寺の建築、伝統工芸も豊かな森を背景に維持されてきた。森あってこその文化である。
森に分け入り、そこにある課題を掘り下げた先に、今まで見逃していた、あるいは新たに創造できる京都の価値が見えてくるかもしれない。
Essey
送り火への目線
京都新聞社 澤田亮英
お盆の8月16日。日が暮れてしばらくすると、京都市内にいる多くの人は、比叡山の南に連なる大文字山へ目を向ける。ある人は心静かに先祖を思い、ある人はショーの幕開けのように心を弾ませ、「大」の送り火が浮かび上がるのを待つ。
その大文字山では、弘法大師をまつる小さなお堂の前に地元の保存会役員らが集まり、読経が始まる。日中の猛暑を忘れさせるような涼しい風が吹き抜け、背筋が伸びる。準備を終えて一息ついていたのどかな雰囲気は消え、じわりと緊張感が増してくる。
迎えた8時。役員の一人が大きなたいまつを掲げ、号令をかける。75カ所の「火床」(ひどこ)に次々と火が入り、「金尾(かなわ)」と呼ぶ中心は、近づくのも危険なほど大きな炎が上がる。
すべての火床が順調に燃えているのを見届けて、ある役員は満面の笑顔をみせた。「だれにも文句言わせへんぞ」。山のふもとから見つめる人たちに向けて、美しい「大」を描けたとの誇りがにじんだ。
三方を山に囲まれた京都のまちそのものを舞台装置にする五山送り火は、東山の大文字から西へ妙法、舟形、左大文字を経て、鳥居形の順に点火される。全体で1時間もない短い本番のために、それぞれの山では1年を通して準備を重ねている。
起源には諸説あり、地域ごとに異なる宗教性を帯びる。何百年と続いてきた背景には、里山に人が入り、その恵みを享受できた環境がある。
そのサイクルに、ひずみが目立つようになってきた。
いきおいよく燃やすためにはアカマツが欠かせない。ところが、里山の荒廃や植生の変化で確保が難しくなり、地元の山では十分な量が手に入らなくなっている。企業が所有する京都郊外の山で確保したり、保存会の役員が個人のつてで市内の林業関係者に頼んだりと綱渡りが続いており、鳥居形の保存会は「あと3年で枯渇する」と危機感を募らせる。左大文字や妙法では、自ら植林に動きだした。
こうした苦境は、なかなか市民や観光客に伝わらない。続いて当然という感覚で、年1回の送り火を眺める人たちの目線と、10年、100年先の行事の継続を見据える保存会の目線はすれ違い、同じ方を向いていない。
保存会の人たちの苦労を美談として聞き流していては、近いうちに送り火が途絶えかねない。森と共生してきた送り火の担い手と目線を合わせて、支える手だてはないものだろうか。
その問いに向き合うことで見えてくるのは、単に送り火の継続にとどまらない。鞍馬の火祭をはじめ京都の多くの祭礼は森と深く結びついている。社寺の建築、伝統工芸も豊かな森を背景に維持されてきた。森あってこその文化である。
森に分け入り、そこにある課題を掘り下げた先に、今まで見逃していた、あるいは新たに創造できる京都の価値が見えてくるかもしれない。
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