Round table discussion 1
「文化とBe-ing。文化と社会的価値について考える。」
景観・風土・文化・歴史という資産をどのように新たな価値に転換するか?
宇沢国際学館 代表取締役/医師 占部まりさん
京都大学 大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 社会疫学分野 教授 近藤 尚己さん
武蔵野美術大学ソーシャルクリエイティブ研究所所長・造形構想学部クリエイティブイノベーション学科教授 若杉浩一さん
株式会社アドプランツコーポレーション 代表取締役 増永 滋生さん
冬夏株式会社 代表取締役 奥村 文絵さん
花人 杉謙太郎さん
moderator
小川敦子(株式会社ロフトワーク アートディレクター)
Introduction: 自然と風景という豊かさを共有し合う
〜茶事の対話より
奥村文絵さん(以下、奥村):私たちは頻繁に文化という言葉をよく使いますが、文化という言葉を辿っていきますと、明治期に西洋から入ってきた外来語でした。それ以前、日本では古くから「風」という言葉を使ってきました。例えば、風土、風習、家風、社風というように、その土地や集団、人々が持っている特性、つまり文化を風という言葉で表現してきたのです。今、この瞬間、私たちは竹林に立ち、風を感じています。風は、現場に立たなくては、読むことはできない。本の中に風はありません。肉体と時間と空間が三位一体となるところで、はじめて私たちは風を体感し、捉えることができます。
この京都は、日本の伝統文化の中心です。文化を意味するカルチャーという英語は、もともと「耕す」を意味するラテン語から派生しており、「崇める」「敬う」「祈る」という意味もありました。今日は、竹林を耕してくださった増永さんと共にここに集い、この場を使わせていただける喜び、自然への敬いの姿を、杉さんが生けてくださった花に視ているわけです。
杉謙太郎さん(以下、杉):今このようにして、花を立てることができました。傾いてきた太陽が竹林の木陰から日が射し込み、太陽光がすっと花を通過したときに、もしかしたら神様が来たかもしれないと心の中ではみなさん感じるかもしれない。そのこと自体は、実際には本当なのか、嘘なのかはわからないですが。奥村さんのお話にありました「風」という言葉に沿っていうならば、風というものに私たちが感じるものがあった、さっき一瞬あったということが真実として残っている。そういう風の興を「風興」と言います。
応仁の乱後、室町時代ですが、このままでは日本がダメになると僧侶たちがお花を立てることを始めたことがあった。京都の六角堂というところで池坊専応という人が代表になって花を立て始めたわけです。伝書の中で風興という言葉がありますが、辞書で調べても出てきません。風興、つまり「風による興」ということですが、それを掴むことができるのか、一瞬の風なので今は、明確に感じとることができないわけですよね。火は、一瞬も同じ形をしていない。そういう掴みどころのないようなものを室町よりも前から日本人はずっと追いかけてきたんじゃないかなと感じます。
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くぐるとは」在原業平という人が “ちはやぶる” という歌を詠んでいます。奈良は大陸の文化が一挙に入ってきた場所ですが “からくれなゐ” とは真っ赤な赤い色のことなのですが、この色は中国の唐から入ってきたものです。中国の赤から日本人が影響を受けている。神代の時代、つまり神様の神話の時代は「白の時代」だった。そこに赤が入って来たことに驚き、国際的な影響をすごく受けたということだと解釈しています。奈良の天平時代はそのように国際色豊かな時代でした。そこで京都に都が移った際には、日本人としての感覚というものを取り戻したいと京という文化が出来上がっていったのではないでしょうか。
この嵯峨野という場所は、日本人としての独特のアイデンティティを感じさせるエリアですね。このような場所が日本にまだ残っているのかと驚きました。今日は、はじめに松を立てさせていただきました。渡来人であった秦氏一族がこの嵯峨野地域で勢力を誇ったとされていますが、この辺りの御堂ヶ池古墳群(みどうがいけこふんぐん)には、200基程の秦氏一族の古墳が残されているとされているようですね。その中でも最も大きい1号古墳は別の場所に移設されていますが、古墳の近くに松と唐紅の真っ赤に紅葉した紅葉が一本生えていたのが非常に印象的だった。松という永遠に変わらない緑というもの。今日明日にも紅が散ってしまう紅葉の儚さ。そのような光景にインスピレーションを受け、それぞれを神と人間に見立て、互いを交わらせたいと考えました。松の緑と紅葉の赤。この二つの色を混ぜ合わせ、さらに皆さんの協力を得て、今日ここに無事立ち上げることができました。
今日のこの立て花は「天道花」と言いますが、天道とはお天道様のことで、お天道さまに敬意を払って、松というものを立て、紅葉を立ち上げていくものです。かなり初期の日本の農耕に関わっているお花です。農耕の感謝の気持ちを花に託して立ち上げた。今、だんだんと陽の光が射すか射すまいかとなってきましたが、西陽が入ってきて紅葉を照りあげるようなことがあれば、心の内に山神様が降りてきたと思えるかもしれない。ありがとうございます。
Round Table Discussion
「文化とBe-ing。文化と社会的価値について考える。」
小川敦子(以下、小川):今日は、このような素晴らしい場を作っていただいた、増永さん、奥村さん、杉さん、スタッフの皆さん、ありがとうございます。AruSocietyというプロジェクトは、私たちロフトワークとしてこれからの100年先を見据え共に在る社会をどのような物語を描いていけるのかというプロジェクトです。今日がプロジェクトの記念すべき始まりの日であり、このように皆様とプロジェクトを始めることができたことにとても感謝しております。それでは、ここからRound Table Discussionに入っていきたいと思います。まずは、今日のゲストスピーカーの御三方に自己紹介をお願いしたいと思います。
占部まりさん(以下、占部):本業内科医、経済学者・宇沢弘文の娘で、宇沢国際学館の代表をしています。この場所のような自然景観であり自然そのものが人間には必要ですね。だからこそ、そういった社会的価値や文化価値といった社会的共通資本を無視した経済活動に対して疑問を呈しながら活動をしております。
近藤尚己さん(以下、近藤):京都大学の近藤と言います。私は医者なんですけれど、病気を治すのではなく予防するということを主にやっています。予防というのも運動してもらうというようなことではなく、住んでいると元気でいられるような環境をつくる、まちをつくるという活動をしています。つまり公衆衛生(パブリックヘルス)の幅広い領域に携わっています。
若杉浩一さん(以下、若杉):武蔵野美術大学の若杉です。僕は本業はデザイナーなのですが、プロダクトデザイナー、建築、インテリアが主の仕事ではあるのですが、今から二十数年前に経済をつくるためのデザインだけではなくて社会のデザインを考えようとしたときに、プロダクトデザインなんて経済の片棒を担いでいるだけなのかと思い至り、そこから林業という経済の真反対の世界に行きました。放りっぱなしで、ちっともお金にならないというところにデザインがどのように寄与できるのかということを考え、全国を歩くようになりました。そのようにして集まった「スギダラケ倶楽部」と言いますが、その会員は日本全国にいまや2,400人程になりました。いわゆるソーシャルデザイン、コミュニティデザインというような活動を自主的にやってきました。武蔵野美術大学でソーシャルクリエイティブ研究所・造形構想学部という形で現在教鞭を取っています。
小川:「文化とBe-ing。文化と社会的価値について考える。」今日のテーマは占部まりさんとこの会で何をテーマに話をしようかということで、占部さんに決めていただき、そのテーマであればということで、近藤先生と若杉先生をお招きさせていただきました。先ほどの茶事の際に文化の捉え方について奥村さんから「耕す」という観点から大変興味深いお話をいただきました。形骸化された伝統芸能というような文化芸術だけを切り取って、そういったことだけを文化として扱うことに私自身は非常に違和感がありまして、それよりも土地の風土、歴史、人々が地道に創り上げ積み上げてきたものに一番価値があるのではないか、それが文化ということなのではないかと、文化の位置付けをすることを、この場では前提として、議論を深めていきたいと思います。増永さんは京都の地に生まれ育ち、京都の風景に関わる仕事にずっと携わっておられますが、京都の風景そのものをどのように捉えていらっしゃいますか。
増永滋生さん(以下、増永):アドプランツコーポレーションの増永といいます。先程は竹林の課題と再生方法について皆様をご案内させて頂きました。その中で伝えたかったのは、自然とは長い時間をかけて再生するもので、地域や企業と連携した持続可能な自然の再生の仕組みを作ることが必要だということで、そのため私達も伴走支援をしています。 今回は文化というテーマですので、この場所で私たちが関わっていることをお話します。
嵯峨野という地域は「稲穂たなびく水田とその山裾の竹林が広がる風景」として法律で指定された風景を守るべき場所です。もともとは1200年ほど前に秦氏が保津川沿いに堤防をつくって川の氾濫を抑えたことから水田地帯が広がったと言われています。しかし、現在では1次産業の低下から竹林・水田が放置され荒廃した環境となり、風景、生物多様性ともに地域の自然や文化的価値が低下しています。私達は地元の景勝・小倉山を守る会や嵯峨地域農場づくり協議会などの事務局も務めています。嵯峨野では、京都の風景の縮図でもある、竹林、水田、アカマツ林が広がっており、その環境を次世代に繋ぐため、森づくり活動、古今嵯峨米という有機の米作りを通じて、嵯峨野の風景や生物多様性を再生させる活動を地域や企業と共に行っています。
つまり、こういった取り組みは私達だけではできないので、参画頂ける市民、企業の皆さんの、それぞれの得意分野を活かし、機能的・効果的となるよう事務局側では運営をしています。明日のテーマでもある、アカマツは例えば五山送り火にも使われますし、祇園祭りの北観音山、南観音山の山の部分にも使われています。お正月には門松の代わりに1年の成長を願って根引き松を飾るという京都独特の風習もあり、京都ではアカマツと文化とは密接な繋がりがあります。また、竹林、水田の稲わら共に、京都の多くの伝統行事に使われ、自然と文化というのは常に関係を保っていると言えます。そして、アカマツは再生すれば松茸、竹林は筍、水田はお米と、風景の再生は文化の価値向上にも繋がり、京都を代表する食にも繋がります。こういったことからも自然との関わり方・活かし方は様々な方法があります。本日は、京都の自然・文化を次世代に繋ぐということを根底に、嵯峨野の価値を再生する企業との新しい関わり方やアイデアについて議論ができればと思います。
小川:今後、京都、あるいは日本では文化と経済をどのように好循環させていくのか。昨年度、京都市と共に弊社ロフトワークは2025年に向けたグランドビジョンを描くための素地となる都市戦略のプロジェクトを手掛けさせていただきました。京都市は文化と経済の好循環を都市としても大事にしたいということを1978年より世界文化自由都市として宣言してきたわけですが、文化と経済を実際のビジネスシーンにおいても適切につなぐことをされて来た方から見ると、そのような概念や仕組みを実際の現場では、どのように捉えられるかお聞きしてみたく。奥村さんはカルチャープレナーとして京都でお茶のスタートアップをなされていますが、率直にその辺りをどのように考えているか、ぜひお聞かせいただけますか?
奥村:難しい質問ですね(笑)。私は、東京を拠点に2000年からフードディレクターとして、経済側、いわゆる飲食企業のお手伝いをしてきました。飲食業のほとんどは、家族経営、父ちゃんが作って、母ちゃんが売る、子供はその後ろで育つというような家業です。クライアントの多くは家業の長で、先代から事業を受け継ぎ、次の30年間に向けたビジョンを一緒に組み立てられる人が会社の中にいない。そこで、未来の事業を考える部分を私がお手伝いをさせていただくというケースが多かったんです。フードディレクターの得意技は「食のビジネスを、デザイン手法で発展させる」ことですが、建築やグラフィック、ウェブなどのデザイナーと共に店作りや新商品を設計したあとは、実現に向けて、料理人や職人、ビジネスオーナー、デザイナーの間に立ち、互いの専門用語を翻訳しながら、目指す方向を共有することに多くのエネルギーを費やしてきました。
2015年に京都に来たとき、この町にデザイナーがいないことに驚きました。もうすこし丁寧にいうと、職人がデザイナーなのです。技術と素材と歴史と文脈、全てが職人という一人の中で完結しています。豆を渡せば、この豆でどんな新商品を作れるか、あるいは作るべきか、職人一人でも解決できてしまう。建築も一緒です。職人が意匠と技術、両方持ち合わせているから、構想の段階で、実際に家を仮組してしまう。その空間のなかでお施主さんと大工さんが、ああしようこうしようと相談するわけですから、図面上で想像するより、はるかに丁寧で、細かいところまで行き届いたものになります。手で考える。人がやらないことを、手間ひまを惜しまずに取り組む。こういう京都のものづくりは、都市には真似のできない独特の強みと魅力があります。
今は茶業に関わらせていただき、御所の東で喫茶とギャラリーを営んでいますが、約8割は海外のお客様です。お客様の中には、自ら茶畑に行き、あの品種、あそこの農家、というように話される方もいらっしゃいます。お茶はタダで、お金を払う価値が無いと思われてきた昨今、世界中から文化的感度の高い人が集まるここ京都で、日本人が外国人からお茶の価値を教えてもらう。そうして埋もれていた文化価値を再発見した次の世代が、自由で新しいスタイルを生み出していく。京都ならではの循環にも、私は大きな可能性を感じています。
小川:ありがとうございます。若杉先生は20数年に渡って、色々な地方の場所を見られてきたと思います。日本各地の地域では文化と経済の循環のバランスがどのような状況になっているのか? 先生はどのように捉えられていますか?
若杉:どんな小さい街や農村でも、ある種の培ってきた営みや人のつながりやものづくりを通じて、ある種の価値が存在する。地域に行けば行くほど、それが残っている。そのような「手の内にある価値」というものが、グローバリズムとか、経済側の単一的な思想や価値意識の中で、全く持って書き換えられていく。価値そのものが伝わらない、あるいは、価値として浮き上がってこないという状態があるので、地域の人たちにとっては自分たちの手の内にあるものが果たして価値なのかどうかがわからないのですよね。だからこそ、そこに持っているものの豊かさや意味を解いていく “よそ者” が必要です。それが奥村さんが冒頭で仰った「風」という、例えば風土のようなもので、他所から新しい風が吹くことで顕在化していく。一次産業、二次産業があって、現在では東京がクリエイティブを全部、つまり都市がすべてを握りしめている構造なわけですが、握りしめた小さな価値を新しいものに置き換えていくには、クリエイティブ産業が地域にこそ必要だと思っているんですよね。
だから、文化や伝統と言われる「厳かなもの」だけではなく、日常の中にある営みの中にあるビビットで大切なものがあるんですが、それは残念ながら形になり得ないものなので、なかなか伝えていくのが難しい。つい他所からチェーン店が来ると「スタバ万歳!!」のようになってしまって(笑)。でも、ちょっと待てよ!とという話じゃないですか。逆にそれを伝えられるのは、東京のクリエイティブだと思っているのです。だから、一次産業、二次産業、三次産業を合わせて、六次産業ということを国も言っていますが、ひょっとしたら、クリエイティブ産業、デザイナーが地域の中に入ることによって、一次産業、二次産業が新しい価値に置き変わっていくんじゃないかと思っています。
うちの学生は、毎年2ヶ月間、最低1ヶ月間は地域に住み、生活するというところから授業をやっていていまして、もちろん単位も取れますよ。そうすると、授業が終わると次の春休みに滞在し、さらに自分の研究として4年生の時に全部やると。そのまま就業して地域に入るということが起こっています。そういうことを伝えていく教育が、新しい循環を促すことだと思えてならないのですよね。そういった意味では、地域こそ「目に見えない、ささやかな文化や価値」というものがあって、それは厳かなものとはちょっとは違うが、磨いていくと100年後にはきちんと文化として定着していくようなものがある。
ものづくりの文脈で言うと、天草泥人形という300年続いている廃れる寸前のじいちゃんが2人死んだら終わりという世界なのですが、天草泥人形というのは、実は聖母マリア像なんですね。お母さんがおっぱいを子供にあげている。山姥は聖母マリア像なんです。そうではないというふうに見せていますが、それをリデザインして違うものにモダンに置き換えてしまったんですが、結果、14人ぐらいの雇用も出てきて結構稼いでいると。何が言いたいかというと、オリジナルは形状しないのだが、亜流を作ることで、オリジナルを守ることができる、技術があるので。伝統そのものでいくと死んでしまうわけです。亜流や邪道というものが、実はものすごく大事です。そういったことが入ることで新たな文化や営みというものが作れるんだなと思っています。
このような意味では、地域にこそ、気づかないけれども、実はそういう宝が山ほどあって。学生たちは、そこで生活するわけです。生活するということが重要なんです。1ヶ月ぐらい生活しないとダメです。そのうち、後3ヶ月、1年ここで生活しますとなるんですけど、地域の中の暮らしや風土に定着をしていくことによって、新しい文化や営みがもう一回リデザインできるような気がします。今のような縮退する社会であり、経済も人口も減っていくという流れの中では、共に助け合って生きるコモン、共同体を作っていかないと。一人勝ちはもう難しいですよね。
経済価値と合わせて我々がなんとなく蔑ろにしてきた文化的持続性をどのようにリデザインしていくのかがものすごく大事な時期になって来ていると思います。小川さんからの問いである、文化と経済の好循環についてですが、経済が儲かるのだが文化は儲からないという話ではなく、「経済と文化があるからこそ持続する」という風に見た方がいいと思います。
小川:なるほど。では、ここから少し変化球的になりますが、近藤先生が新しく始めた活動ということに関して、詳しく教えていただきたいのですが。まずは、先生の活動について、少しお話いただけますか。
近藤:病院に来る患者さんの中には、病気そのものは診察してみると客観的にはあまり深刻でないのですが寂しさや不安感で病院に来る人がいます。医師としては病気の治療対象になりにくいので、“面倒な患者”と感じてしまうこともあります。しかしもう少し掘り下げてみると、そもそも、病院に来る寂しさや不安の背景に、貧困や孤立があることがわかります。ところが医者は貧困や孤立は直せないので、その場しのぎに痛み止めなどを処方しておかえりいただく、ということが起きます。僕の研修医時代、当直の際に、難病の女性で夜になると不安を感じて毎晩のように不安から体の節々が痛み出して来院される方がいました。「そうですか、大変ですね」と声をかけつつまずはお話を伺って、生理食塩水という、痛み止めの効果もないものを点滴すると症状が和らぐのです。つまり、慰安のために病院に来ているわけです。生活保護制度を利用されている方にも、そのような通院をされる方が少なくありません。それはご本人にとっては必要な受診であり、決して無駄ではありません。一方で、政府からは無駄な医療はなくせ、無駄な病院通いはやめなさいと、生活保護の利用者の受診抑制を期待するような政策が実際に出てきています。
ですが、僕たちはそのような政策も、単なる生活保護の利用者へ締め付けをする悪しきもの、とだけとらえるのではなく、チャンスである側面もあると思っています。福祉事務所と保健センターなどが連携する大きなきっかけになります。無駄と言われていることが、一体何から生じているのかを、そういった多様な部署で連携しながら明らかにして対応していくことで、病院に来た患者さんが孤立の状態から解放されて、地域の中で豊かなつながりが作れるような仕組みづくりにつながったらいいんじゃないかなと思います。それを「社会的処方」という名前を付けて普及を目指して活動しています。薬を処方するのではなく「社会とのつながりを処方する」という意味合いです。
そんな活動をしていたところ、思わぬ声掛けをいただきました。東京芸術大学の伊藤達也教授と学長の日比野克彦教授は「文化的処方」という言葉を編み出して、実は、社会的処方からインスパイアされたとおっしゃっていました。文化芸術活動を通じてつながりを作ることで孤立をなくし、地域を元気にするという話でした。これをきっかけに、東京芸大のプロジェクトのメンバーにしていただき、また、文化的インパクトを多様な面から数字で評価して、社会の仕組みに実装していこうとをする、測量的に活動の評価をするような部門のリーダーをやっています。
小川:つまりは、測りづらいものを可視化するということですね?
近藤:そうです。芸大がやっていることの一つが「アートコミュニケーター」という人たちを要請する活動です。地域で何らかの芸術活動を通じてコミュニティを作っていくアートコミュニケーターを配置すると、地域の中にどのぐらいつながりができるのか? 生きがい感が高まるのか? そういったことを数量的に評価するようなことをしています。
ピータードラッカーは「測れないものは管理できない」と言っていますね。世の中に素晴らしい文化活動があってもどのぐらいのインパクトなのか数字にしないと議論の土台に乗らない。それは経済だけではなく、あらゆる側面で大事になってくる。ナラティブは大事なのですが、数字に置き換えられないと見過ごされてしまう。それが起きたのがコロナなんです。
コロナでは、マスクをしたり、ワクチンをすれば何人が助かりますと推計結果を示したのは京都大学の西浦先生で、私の同僚でもあります。彼のメッセージは明確でした。人流を8割止めれば流行の広がりを抑え込めると。ですが、人流が止まると人との交流活動を止めることになります。その弊害がどのぐらいなのかという数字はなかった。政策決定者としては数字で人を説得できる方法を使いたがる。例えば京都では「地蔵盆」というお祭りが盛んですが、コロナ中ほぼ止まってしまいました。京都には地域のお地蔵さんがいっぱいあるのですが、近所の子供たちが集まってお念仏を唱えながら大きな数珠を回す行為そのものがコロナ的にはよくないと判断され、数珠回しはやらないと判断されたのかもしれません。子供たちにはお菓子を配るだけとなってしまった。東日本大震災のときはお祭りが復活し、それ自体が復興の象徴のようになっていったのです。コロナはそういうことがなくなってしまったので、地震よりも悪い災害だなと個人的には思っています。
次に同様のケースが起こっても、つながりの効果とか文化活動の効果が見えるようにしておかないとならないと思っていて。そこで立ち上げたのが、安寧社会共創イニシアチブ(略称:AnCo)です。安寧社会とはウェルビーイングの意味を日本語に転換し置き換え表現したものですが、社会的に実装していく上でのマッチングハブのネットワークにすることを想定し、京都市のカルチャープレナーの取り組みにも入っていただきたいと思っています。文化の価値をもっと社会に入れ込んでいくという未来を目指したいと考えています。
小川:素晴らしい取り組みですね。では、そのような新たな社会に向けたデザインを実装化することを目指している企業側ということで、参加企業側から、末次さんにお話を伺ってみましょう。一般社団法人エコシステム社会機構 Ecosystem Society Agency:略称ESA(イーサ)という組織を立ち上げられて、会社自体も新たな方向性へと向かっていくようなタイミングにあられるのかもしれませんが、アミタホールディングス株式会社の代表取締役でESAの代表理事を務められていますが、今後、企業が自然や文化に関わることの意義をどのように捉えていらっしゃいますか。
末次貴英さん:私共アミタという会社は循環をテーマにしながら、資源循環、今で言うところのサーキュラーエコノミーをやっていますが、無価値と言われているものに価値を見出し、関心を集めながら回していくということで、リサイクルシステムのコンサルティングをやってきました。会社はいかに余剰を生産的に生み出しながら富を増幅するか、それに最適化された道具だと思うんですけれど、やはり企業は価値を生み出すメカニズムを変えていかないとダメなんだろうと考えています。私たちは、たまたま循環ということをやってきて、循環というのは人と人が一人ひとりつながる関係性がないと続かないのですが、社会的処方ならぬ「循環的処方」をやってきたんだなと。
ゴミ出しは日常で皆さんがやることですが、ゴミ出しをするときに、誰かと会話をしたり、コミュニティがあれば、わざわざどこかにいかなくても生活の中でつながりが生まれたり、そういった関係性が駆動力になりながら価値が生まれていく形にならないかなと、そう思っています。
企業の文脈でいうとグローバルで動いているところは別かもしれませんが、国内のマーケットで見ると、人も減るし色々な原料も高くなってくるし。縮小する中で全部原価が上がるけれども利益を出さなければならないという難しい状態ですよね。ここで、私たちの答えとしては、循環していきながら何回も回していくということを考えているわけですが、そうなったら必ずオリジナリティとしての文化の色合いがつかないと。回せば回せばエントロピーの法則のように劣化をしていくので、そこは長い時間をかけながら丁寧に地域それぞれのローカルで色合いをつけながら付加価値を作っていく。企業としてどう見せるか?という工夫がないと、すぐにコモディティ化をしてくる。無機質な商品やサービスしか作れなくなるので、そこに今トライをしようとしているんですが、業種、業界、産官学という垣根が関係ないところでやらないとと思っています。それがESAという団体ですが、いま現在は実装化するための構造のメカニズムそのものを考えているところです。
占部:うちの父は、イギリスの哲学者であり、経済思想家のジョン・スチュアート・ミルが言うところの定常状態という、経済指数が成長しなくても必ず豊かさというものがあるはずだと言っています。最近は経済価値を考えない方が、むしろ豊かなものが立ち上がってくるんじゃないかと私自身思っていまして。少し突拍子もない話かもしれませんが、とある産院で薪ストーブを使っているところがあります。薪ストーブでお産を待つ。当然のことながら、近年では医療も進んできているので、悲劇的なお産というものは、だいぶ少なくなっているのですが、やはりそういうことがまだ実際には起こります。ただ、火を待っていながら待っていただくと、どうしようもないことをご家族にお伝えしなければならない際になんとか受け入れてもらいやすくなるということがあって。やはり何か自然と向き合って考えるという時間が、今後、ものすごく重要になってくるんじゃないかと。今日は、強烈にこの目の前の焚き火の火から感じています。そして、この生け花ですがー
小川:今、西陽の光が花に射し込んできましたね。
占部:花を立てたということでしたが、初めは心が傷んだわけなんです。見事な紅葉が、もしかしたら、来年も葉をつけられたのかもしれないと思いながら。一度、命を絶たれたものが、ここで再び違う形で命を産んでいる、美しさを産んでいることそのものが、日本の伝統芸能すごし!というのが、私の心を強く揺さぶっています。文化が培われてきた良いところを切り取りながらも、新しいものをまたつくっていく、今はそのような過渡期にいるんではないかと。ここにいる人々と新しいものやことをつくっていくこと自体が新しい一歩だと思っている次第です。
小川:火を見つめ合いながら、互いの考えを共有し合い重ね合わせていく、とても良い時間でしたね。みなさま、ありがとうございました。
Round table discussion 1
「文化とBe-ing。文化と社会的価値について考える。」
景観・風土・文化・歴史という資産をどのように新たな価値に転換するか?
宇沢国際学館 代表取締役/医師 占部まりさん
京都大学 大学院医学研究科 社会健康医学系専攻 社会疫学分野 教授 近藤 尚己さん
武蔵野美術大学ソーシャルクリエイティブ研究所所長・造形構想学部クリエイティブイノベーション学科教授 若杉浩一さん
株式会社アドプランツコーポレーション 代表取締役 増永 滋生さん
冬夏株式会社 代表取締役 奥村 文絵さん
花人 杉謙太郎さん
moderator
小川敦子(株式会社ロフトワーク アートディレクター)
Introduction: 自然と風景という豊かさを共有し合う
〜茶事の対話より
奥村文絵さん(以下、奥村):私たちは頻繁に文化という言葉をよく使いますが、文化という言葉を辿っていきますと、明治期に西洋から入ってきた外来語でした。それ以前、日本では古くから「風」という言葉を使ってきました。例えば、風土、風習、家風、社風というように、その土地や集団、人々が持っている特性、つまり文化を風という言葉で表現してきたのです。今、この瞬間、私たちは竹林に立ち、風を感じています。風は、現場に立たなくては、読むことはできない。本の中に風はありません。肉体と時間と空間が三位一体となるところで、はじめて私たちは風を体感し、捉えることができます。
この京都は、日本の伝統文化の中心です。文化を意味するカルチャーという英語は、もともと「耕す」を意味するラテン語から派生しており、「崇める」「敬う」「祈る」という意味もありました。今日は、竹林を耕してくださった増永さんと共にここに集い、この場を使わせていただける喜び、自然への敬いの姿を、杉さんが生けてくださった花に視ているわけです。
杉謙太郎さん(以下、杉):今このようにして、花を立てることができました。傾いてきた太陽が竹林の木陰から日が射し込み、太陽光がすっと花を通過したときに、もしかしたら神様が来たかもしれないと心の中ではみなさん感じるかもしれない。そのこと自体は、実際には本当なのか、嘘なのかはわからないですが。奥村さんのお話にありました「風」という言葉に沿っていうならば、風というものに私たちが感じるものがあった、さっき一瞬あったということが真実として残っている。そういう風の興を「風興」と言います。
応仁の乱後、室町時代ですが、このままでは日本がダメになると僧侶たちがお花を立てることを始めたことがあった。京都の六角堂というところで池坊専応という人が代表になって花を立て始めたわけです。伝書の中で風興という言葉がありますが、辞書で調べても出てきません。風興、つまり「風による興」ということですが、それを掴むことができるのか、一瞬の風なので今は、明確に感じとることができないわけですよね。火は、一瞬も同じ形をしていない。そういう掴みどころのないようなものを室町よりも前から日本人はずっと追いかけてきたんじゃないかなと感じます。
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くぐるとは」在原業平という人が “ちはやぶる” という歌を詠んでいます。奈良は大陸の文化が一挙に入ってきた場所ですが “からくれなゐ” とは真っ赤な赤い色のことなのですが、この色は中国の唐から入ってきたものです。中国の赤から日本人が影響を受けている。神代の時代、つまり神様の神話の時代は「白の時代」だった。そこに赤が入って来たことに驚き、国際的な影響をすごく受けたということだと解釈しています。奈良の天平時代はそのように国際色豊かな時代でした。そこで京都に都が移った際には、日本人としての感覚というものを取り戻したいと京という文化が出来上がっていったのではないでしょうか。
この嵯峨野という場所は、日本人としての独特のアイデンティティを感じさせるエリアですね。このような場所が日本にまだ残っているのかと驚きました。今日は、はじめに松を立てさせていただきました。渡来人であった秦氏一族がこの嵯峨野地域で勢力を誇ったとされていますが、この辺りの御堂ヶ池古墳群(みどうがいけこふんぐん)には、200基程の秦氏一族の古墳が残されているとされているようですね。その中でも最も大きい1号古墳は別の場所に移設されていますが、古墳の近くに松と唐紅の真っ赤に紅葉した紅葉が一本生えていたのが非常に印象的だった。松という永遠に変わらない緑というもの。今日明日にも紅が散ってしまう紅葉の儚さ。そのような光景にインスピレーションを受け、それぞれを神と人間に見立て、互いを交わらせたいと考えました。松の緑と紅葉の赤。この二つの色を混ぜ合わせ、さらに皆さんの協力を得て、今日ここに無事立ち上げることができました。
今日のこの立て花は「天道花」と言いますが、天道とはお天道様のことで、お天道さまに敬意を払って、松というものを立て、紅葉を立ち上げていくものです。かなり初期の日本の農耕に関わっているお花です。農耕の感謝の気持ちを花に託して立ち上げた。今、だんだんと陽の光が射すか射すまいかとなってきましたが、西陽が入ってきて紅葉を照りあげるようなことがあれば、心の内に山神様が降りてきたと思えるかもしれない。ありがとうございます。
Round Table Discussion
「文化とBe-ing。文化と社会的価値について考える。」
小川敦子(以下、小川):今日は、このような素晴らしい場を作っていただいた、増永さん、奥村さん、杉さん、スタッフの皆さん、ありがとうございます。AruSocietyというプロジェクトは、私たちロフトワークとしてこれからの100年先を見据え共に在る社会をどのような物語を描いていけるのかというプロジェクトです。今日がプロジェクトの記念すべき始まりの日であり、このように皆様とプロジェクトを始めることができたことにとても感謝しております。それでは、ここからRound Table Discussionに入っていきたいと思います。まずは、今日のゲストスピーカーの御三方に自己紹介をお願いしたいと思います。
占部まりさん(以下、占部):本業内科医、経済学者・宇沢弘文の娘で、宇沢国際学館の代表をしています。この場所のような自然景観であり自然そのものが人間には必要ですね。だからこそ、そういった社会的価値や文化価値といった社会的共通資本を無視した経済活動に対して疑問を呈しながら活動をしております。
近藤尚己さん(以下、近藤):京都大学の近藤と言います。私は医者なんですけれど、病気を治すのではなく予防するということを主にやっています。予防というのも運動してもらうというようなことではなく、住んでいると元気でいられるような環境をつくる、まちをつくるという活動をしています。つまり公衆衛生(パブリックヘルス)の幅広い領域に携わっています。
若杉浩一さん(以下、若杉):武蔵野美術大学の若杉です。僕は本業はデザイナーなのですが、プロダクトデザイナー、建築、インテリアが主の仕事ではあるのですが、今から二十数年前に経済をつくるためのデザインだけではなくて社会のデザインを考えようとしたときに、プロダクトデザインなんて経済の片棒を担いでいるだけなのかと思い至り、そこから林業という経済の真反対の世界に行きました。放りっぱなしで、ちっともお金にならないというところにデザインがどのように寄与できるのかということを考え、全国を歩くようになりました。そのようにして集まった「スギダラケ倶楽部」と言いますが、その会員は日本全国にいまや2,400人程になりました。いわゆるソーシャルデザイン、コミュニティデザインというような活動を自主的にやってきました。武蔵野美術大学でソーシャルクリエイティブ研究所・造形構想学部という形で現在教鞭を取っています。
小川:「文化とBe-ing。文化と社会的価値について考える。」今日のテーマは占部まりさんとこの会で何をテーマに話をしようかということで、占部さんに決めていただき、そのテーマであればということで、近藤先生と若杉先生をお招きさせていただきました。先ほどの茶事の際に文化の捉え方について奥村さんから「耕す」という観点から大変興味深いお話をいただきました。形骸化された伝統芸能というような文化芸術だけを切り取って、そういったことだけを文化として扱うことに私自身は非常に違和感がありまして、それよりも土地の風土、歴史、人々が地道に創り上げ積み上げてきたものに一番価値があるのではないか、それが文化ということなのではないかと、文化の位置付けをすることを、この場では前提として、議論を深めていきたいと思います。増永さんは京都の地に生まれ育ち、京都の風景に関わる仕事にずっと携わっておられますが、京都の風景そのものをどのように捉えていらっしゃいますか。
増永滋生さん(以下、増永):アドプランツコーポレーションの増永といいます。先程は竹林の課題と再生方法について皆様をご案内させて頂きました。その中で伝えたかったのは、自然とは長い時間をかけて再生するもので、地域や企業と連携した持続可能な自然の再生の仕組みを作ることが必要だということで、そのため私達も伴走支援をしています。 今回は文化というテーマですので、この場所で私たちが関わっていることをお話します。
嵯峨野という地域は「稲穂たなびく水田とその山裾の竹林が広がる風景」として法律で指定された風景を守るべき場所です。もともとは1200年ほど前に秦氏が保津川沿いに堤防をつくって川の氾濫を抑えたことから水田地帯が広がったと言われています。しかし、現在では1次産業の低下から竹林・水田が放置され荒廃した環境となり、風景、生物多様性ともに地域の自然や文化的価値が低下しています。私達は地元の景勝・小倉山を守る会や嵯峨地域農場づくり協議会などの事務局も務めています。嵯峨野では、京都の風景の縮図でもある、竹林、水田、アカマツ林が広がっており、その環境を次世代に繋ぐため、森づくり活動、古今嵯峨米という有機の米作りを通じて、嵯峨野の風景や生物多様性を再生させる活動を地域や企業と共に行っています。
つまり、こういった取り組みは私達だけではできないので、参画頂ける市民、企業の皆さんの、それぞれの得意分野を活かし、機能的・効果的となるよう事務局側では運営をしています。明日のテーマでもある、アカマツは例えば五山送り火にも使われますし、祇園祭りの北観音山、南観音山の山の部分にも使われています。お正月には門松の代わりに1年の成長を願って根引き松を飾るという京都独特の風習もあり、京都ではアカマツと文化とは密接な繋がりがあります。また、竹林、水田の稲わら共に、京都の多くの伝統行事に使われ、自然と文化というのは常に関係を保っていると言えます。そして、アカマツは再生すれば松茸、竹林は筍、水田はお米と、風景の再生は文化の価値向上にも繋がり、京都を代表する食にも繋がります。こういったことからも自然との関わり方・活かし方は様々な方法があります。本日は、京都の自然・文化を次世代に繋ぐということを根底に、嵯峨野の価値を再生する企業との新しい関わり方やアイデアについて議論ができればと思います。
小川:今後、京都、あるいは日本では文化と経済をどのように好循環させていくのか。昨年度、京都市と共に弊社ロフトワークは2025年に向けたグランドビジョンを描くための素地となる都市戦略のプロジェクトを手掛けさせていただきました。京都市は文化と経済の好循環を都市としても大事にしたいということを1978年より世界文化自由都市として宣言してきたわけですが、文化と経済を実際のビジネスシーンにおいても適切につなぐことをされて来た方から見ると、そのような概念や仕組みを実際の現場では、どのように捉えられるかお聞きしてみたく。奥村さんはカルチャープレナーとして京都でお茶のスタートアップをなされていますが、率直にその辺りをどのように考えているか、ぜひお聞かせいただけますか?
奥村:難しい質問ですね(笑)。私は、東京を拠点に2000年からフードディレクターとして、経済側、いわゆる飲食企業のお手伝いをしてきました。飲食業のほとんどは、家族経営、父ちゃんが作って、母ちゃんが売る、子供はその後ろで育つというような家業です。クライアントの多くは家業の長で、先代から事業を受け継ぎ、次の30年間に向けたビジョンを一緒に組み立てられる人が会社の中にいない。そこで、未来の事業を考える部分を私がお手伝いをさせていただくというケースが多かったんです。フードディレクターの得意技は「食のビジネスを、デザイン手法で発展させる」ことですが、建築やグラフィック、ウェブなどのデザイナーと共に店作りや新商品を設計したあとは、実現に向けて、料理人や職人、ビジネスオーナー、デザイナーの間に立ち、互いの専門用語を翻訳しながら、目指す方向を共有することに多くのエネルギーを費やしてきました。
2015年に京都に来たとき、この町にデザイナーがいないことに驚きました。もうすこし丁寧にいうと、職人がデザイナーなのです。技術と素材と歴史と文脈、全てが職人という一人の中で完結しています。豆を渡せば、この豆でどんな新商品を作れるか、あるいは作るべきか、職人一人でも解決できてしまう。建築も一緒です。職人が意匠と技術、両方持ち合わせているから、構想の段階で、実際に家を仮組してしまう。その空間のなかでお施主さんと大工さんが、ああしようこうしようと相談するわけですから、図面上で想像するより、はるかに丁寧で、細かいところまで行き届いたものになります。手で考える。人がやらないことを、手間ひまを惜しまずに取り組む。こういう京都のものづくりは、都市には真似のできない独特の強みと魅力があります。
今は茶業に関わらせていただき、御所の東で喫茶とギャラリーを営んでいますが、約8割は海外のお客様です。お客様の中には、自ら茶畑に行き、あの品種、あそこの農家、というように話される方もいらっしゃいます。お茶はタダで、お金を払う価値が無いと思われてきた昨今、世界中から文化的感度の高い人が集まるここ京都で、日本人が外国人からお茶の価値を教えてもらう。そうして埋もれていた文化価値を再発見した次の世代が、自由で新しいスタイルを生み出していく。京都ならではの循環にも、私は大きな可能性を感じています。
小川:ありがとうございます。若杉先生は20数年に渡って、色々な地方の場所を見られてきたと思います。日本各地の地域では文化と経済の循環のバランスがどのような状況になっているのか? 先生はどのように捉えられていますか?
若杉:どんな小さい街や農村でも、ある種の培ってきた営みや人のつながりやものづくりを通じて、ある種の価値が存在する。地域に行けば行くほど、それが残っている。そのような「手の内にある価値」というものが、グローバリズムとか、経済側の単一的な思想や価値意識の中で、全く持って書き換えられていく。価値そのものが伝わらない、あるいは、価値として浮き上がってこないという状態があるので、地域の人たちにとっては自分たちの手の内にあるものが果たして価値なのかどうかがわからないのですよね。だからこそ、そこに持っているものの豊かさや意味を解いていく “よそ者” が必要です。それが奥村さんが冒頭で仰った「風」という、例えば風土のようなもので、他所から新しい風が吹くことで顕在化していく。一次産業、二次産業があって、現在では東京がクリエイティブを全部、つまり都市がすべてを握りしめている構造なわけですが、握りしめた小さな価値を新しいものに置き換えていくには、クリエイティブ産業が地域にこそ必要だと思っているんですよね。
だから、文化や伝統と言われる「厳かなもの」だけではなく、日常の中にある営みの中にあるビビットで大切なものがあるんですが、それは残念ながら形になり得ないものなので、なかなか伝えていくのが難しい。つい他所からチェーン店が来ると「スタバ万歳!!」のようになってしまって(笑)。でも、ちょっと待てよ!とという話じゃないですか。逆にそれを伝えられるのは、東京のクリエイティブだと思っているのです。だから、一次産業、二次産業、三次産業を合わせて、六次産業ということを国も言っていますが、ひょっとしたら、クリエイティブ産業、デザイナーが地域の中に入ることによって、一次産業、二次産業が新しい価値に置き変わっていくんじゃないかと思っています。
うちの学生は、毎年2ヶ月間、最低1ヶ月間は地域に住み、生活するというところから授業をやっていていまして、もちろん単位も取れますよ。そうすると、授業が終わると次の春休みに滞在し、さらに自分の研究として4年生の時に全部やると。そのまま就業して地域に入るということが起こっています。そういうことを伝えていく教育が、新しい循環を促すことだと思えてならないのですよね。そういった意味では、地域こそ「目に見えない、ささやかな文化や価値」というものがあって、それは厳かなものとはちょっとは違うが、磨いていくと100年後にはきちんと文化として定着していくようなものがある。
ものづくりの文脈で言うと、天草泥人形という300年続いている廃れる寸前のじいちゃんが2人死んだら終わりという世界なのですが、天草泥人形というのは、実は聖母マリア像なんですね。お母さんがおっぱいを子供にあげている。山姥は聖母マリア像なんです。そうではないというふうに見せていますが、それをリデザインして違うものにモダンに置き換えてしまったんですが、結果、14人ぐらいの雇用も出てきて結構稼いでいると。何が言いたいかというと、オリジナルは形状しないのだが、亜流を作ることで、オリジナルを守ることができる、技術があるので。伝統そのものでいくと死んでしまうわけです。亜流や邪道というものが、実はものすごく大事です。そういったことが入ることで新たな文化や営みというものが作れるんだなと思っています。
このような意味では、地域にこそ、気づかないけれども、実はそういう宝が山ほどあって。学生たちは、そこで生活するわけです。生活するということが重要なんです。1ヶ月ぐらい生活しないとダメです。そのうち、後3ヶ月、1年ここで生活しますとなるんですけど、地域の中の暮らしや風土に定着をしていくことによって、新しい文化や営みがもう一回リデザインできるような気がします。今のような縮退する社会であり、経済も人口も減っていくという流れの中では、共に助け合って生きるコモン、共同体を作っていかないと。一人勝ちはもう難しいですよね。
経済価値と合わせて我々がなんとなく蔑ろにしてきた文化的持続性をどのようにリデザインしていくのかがものすごく大事な時期になって来ていると思います。小川さんからの問いである、文化と経済の好循環についてですが、経済が儲かるのだが文化は儲からないという話ではなく、「経済と文化があるからこそ持続する」という風に見た方がいいと思います。
小川:なるほど。では、ここから少し変化球的になりますが、近藤先生が新しく始めた活動ということに関して、詳しく教えていただきたいのですが。まずは、先生の活動について、少しお話いただけますか。
近藤:病院に来る患者さんの中には、病気そのものは診察してみると客観的にはあまり深刻でないのですが寂しさや不安感で病院に来る人がいます。医師としては病気の治療対象になりにくいので、“面倒な患者”と感じてしまうこともあります。しかしもう少し掘り下げてみると、そもそも、病院に来る寂しさや不安の背景に、貧困や孤立があることがわかります。ところが医者は貧困や孤立は直せないので、その場しのぎに痛み止めなどを処方しておかえりいただく、ということが起きます。僕の研修医時代、当直の際に、難病の女性で夜になると不安を感じて毎晩のように不安から体の節々が痛み出して来院される方がいました。「そうですか、大変ですね」と声をかけつつまずはお話を伺って、生理食塩水という、痛み止めの効果もないものを点滴すると症状が和らぐのです。つまり、慰安のために病院に来ているわけです。生活保護制度を利用されている方にも、そのような通院をされる方が少なくありません。それはご本人にとっては必要な受診であり、決して無駄ではありません。一方で、政府からは無駄な医療はなくせ、無駄な病院通いはやめなさいと、生活保護の利用者の受診抑制を期待するような政策が実際に出てきています。
ですが、僕たちはそのような政策も、単なる生活保護の利用者へ締め付けをする悪しきもの、とだけとらえるのではなく、チャンスである側面もあると思っています。福祉事務所と保健センターなどが連携する大きなきっかけになります。無駄と言われていることが、一体何から生じているのかを、そういった多様な部署で連携しながら明らかにして対応していくことで、病院に来た患者さんが孤立の状態から解放されて、地域の中で豊かなつながりが作れるような仕組みづくりにつながったらいいんじゃないかなと思います。それを「社会的処方」という名前を付けて普及を目指して活動しています。薬を処方するのではなく「社会とのつながりを処方する」という意味合いです。
そんな活動をしていたところ、思わぬ声掛けをいただきました。東京芸術大学の伊藤達也教授と学長の日比野克彦教授は「文化的処方」という言葉を編み出して、実は、社会的処方からインスパイアされたとおっしゃっていました。文化芸術活動を通じてつながりを作ることで孤立をなくし、地域を元気にするという話でした。これをきっかけに、東京芸大のプロジェクトのメンバーにしていただき、また、文化的インパクトを多様な面から数字で評価して、社会の仕組みに実装していこうとをする、測量的に活動の評価をするような部門のリーダーをやっています。
小川:つまりは、測りづらいものを可視化するということですね?
近藤:そうです。芸大がやっていることの一つが「アートコミュニケーター」という人たちを要請する活動です。地域で何らかの芸術活動を通じてコミュニティを作っていくアートコミュニケーターを配置すると、地域の中にどのぐらいつながりができるのか? 生きがい感が高まるのか? そういったことを数量的に評価するようなことをしています。
ピータードラッカーは「測れないものは管理できない」と言っていますね。世の中に素晴らしい文化活動があってもどのぐらいのインパクトなのか数字にしないと議論の土台に乗らない。それは経済だけではなく、あらゆる側面で大事になってくる。ナラティブは大事なのですが、数字に置き換えられないと見過ごされてしまう。それが起きたのがコロナなんです。
コロナでは、マスクをしたり、ワクチンをすれば何人が助かりますと推計結果を示したのは京都大学の西浦先生で、私の同僚でもあります。彼のメッセージは明確でした。人流を8割止めれば流行の広がりを抑え込めると。ですが、人流が止まると人との交流活動を止めることになります。その弊害がどのぐらいなのかという数字はなかった。政策決定者としては数字で人を説得できる方法を使いたがる。例えば京都では「地蔵盆」というお祭りが盛んですが、コロナ中ほぼ止まってしまいました。京都には地域のお地蔵さんがいっぱいあるのですが、近所の子供たちが集まってお念仏を唱えながら大きな数珠を回す行為そのものがコロナ的にはよくないと判断され、数珠回しはやらないと判断されたのかもしれません。子供たちにはお菓子を配るだけとなってしまった。東日本大震災のときはお祭りが復活し、それ自体が復興の象徴のようになっていったのです。コロナはそういうことがなくなってしまったので、地震よりも悪い災害だなと個人的には思っています。
次に同様のケースが起こっても、つながりの効果とか文化活動の効果が見えるようにしておかないとならないと思っていて。そこで立ち上げたのが、安寧社会共創イニシアチブ(略称:AnCo)です。安寧社会とはウェルビーイングの意味を日本語に転換し置き換え表現したものですが、社会的に実装していく上でのマッチングハブのネットワークにすることを想定し、京都市のカルチャープレナーの取り組みにも入っていただきたいと思っています。文化の価値をもっと社会に入れ込んでいくという未来を目指したいと考えています。
小川:素晴らしい取り組みですね。では、そのような新たな社会に向けたデザインを実装化することを目指している企業側ということで、参加企業側から、末次さんにお話を伺ってみましょう。一般社団法人エコシステム社会機構 Ecosystem Society Agency:略称ESA(イーサ)という組織を立ち上げられて、会社自体も新たな方向性へと向かっていくようなタイミングにあられるのかもしれませんが、アミタホールディングス株式会社の代表取締役でESAの代表理事を務められていますが、今後、企業が自然や文化に関わることの意義をどのように捉えていらっしゃいますか。
末次貴英さん:私共アミタという会社は循環をテーマにしながら、資源循環、今で言うところのサーキュラーエコノミーをやっていますが、無価値と言われているものに価値を見出し、関心を集めながら回していくということで、リサイクルシステムのコンサルティングをやってきました。会社はいかに余剰を生産的に生み出しながら富を増幅するか、それに最適化された道具だと思うんですけれど、やはり企業は価値を生み出すメカニズムを変えていかないとダメなんだろうと考えています。私たちは、たまたま循環ということをやってきて、循環というのは人と人が一人ひとりつながる関係性がないと続かないのですが、社会的処方ならぬ「循環的処方」をやってきたんだなと。
ゴミ出しは日常で皆さんがやることですが、ゴミ出しをするときに、誰かと会話をしたり、コミュニティがあれば、わざわざどこかにいかなくても生活の中でつながりが生まれたり、そういった関係性が駆動力になりながら価値が生まれていく形にならないかなと、そう思っています。
企業の文脈でいうとグローバルで動いているところは別かもしれませんが、国内のマーケットで見ると、人も減るし色々な原料も高くなってくるし。縮小する中で全部原価が上がるけれども利益を出さなければならないという難しい状態ですよね。ここで、私たちの答えとしては、循環していきながら何回も回していくということを考えているわけですが、そうなったら必ずオリジナリティとしての文化の色合いがつかないと。回せば回せばエントロピーの法則のように劣化をしていくので、そこは長い時間をかけながら丁寧に地域それぞれのローカルで色合いをつけながら付加価値を作っていく。企業としてどう見せるか?という工夫がないと、すぐにコモディティ化をしてくる。無機質な商品やサービスしか作れなくなるので、そこに今トライをしようとしているんですが、業種、業界、産官学という垣根が関係ないところでやらないとと思っています。それがESAという団体ですが、いま現在は実装化するための構造のメカニズムそのものを考えているところです。
占部:うちの父は、イギリスの哲学者であり、経済思想家のジョン・スチュアート・ミルが言うところの定常状態という、経済指数が成長しなくても必ず豊かさというものがあるはずだと言っています。最近は経済価値を考えない方が、むしろ豊かなものが立ち上がってくるんじゃないかと私自身思っていまして。少し突拍子もない話かもしれませんが、とある産院で薪ストーブを使っているところがあります。薪ストーブでお産を待つ。当然のことながら、近年では医療も進んできているので、悲劇的なお産というものは、だいぶ少なくなっているのですが、やはりそういうことがまだ実際には起こります。ただ、火を待っていながら待っていただくと、どうしようもないことをご家族にお伝えしなければならない際になんとか受け入れてもらいやすくなるということがあって。やはり何か自然と向き合って考えるという時間が、今後、ものすごく重要になってくるんじゃないかと。今日は、強烈にこの目の前の焚き火の火から感じています。そして、この生け花ですがー
小川:今、西陽の光が花に射し込んできましたね。
占部:花を立てたということでしたが、初めは心が傷んだわけなんです。見事な紅葉が、もしかしたら、来年も葉をつけられたのかもしれないと思いながら。一度、命を絶たれたものが、ここで再び違う形で命を産んでいる、美しさを産んでいることそのものが、日本の伝統芸能すごし!というのが、私の心を強く揺さぶっています。文化が培われてきた良いところを切り取りながらも、新しいものをまたつくっていく、今はそのような過渡期にいるんではないかと。ここにいる人々と新しいものやことをつくっていくこと自体が新しい一歩だと思っている次第です。
小川:火を見つめ合いながら、互いの考えを共有し合い重ね合わせていく、とても良い時間でしたね。みなさま、ありがとうございました。
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